秋、新月の夜

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「まあ……それは、そうだけど。でも誤解だったし、謝りに来てくれたじゃないか。それから毎日弁当持ってきてくれたし。やっと一緒に食べられたおいなりさん、うまかったなあ」  ううん、と修造は唸った。どうあってもこの狐は修造を心優しき人間という結論に持って行きたいらしい。否定したかったが、それもなんだか子供の夢を壊してしまうようで気が引ける。少し考え、まあそのうち気づくか、という結論に達した。先送りともいう。 「うまかったってんなら、なんでずっと無視してたんだよ」 「ええー……」  ぱたん、ぱたんと揺れる耳は、赫の気持ちを反映しているようだ。しばらくきょろきょろとあちらこちらを見回しながら耳を動かした赫は、やがてポツリと恥ずかしそうに呟いた。 「……だって、名前……呼んでくれなかったんだもん」 「はあー?」  なんだそりゃ。修造が大声を上げると、赫は「いいだろ別にっ」とついに頭のてっぺんまで布団の中に潜り込んだ。大きな耳だけが修造の方を向いている。 「はいはい、そうですかっと」  立ちあがった修造も赫の隣に自分の布団を敷いて潜り込んだ。夏は暑くて仕方なかった分厚い毛布も、この時期にはちょうどいい。  そのまま二人とも黙り込む。修造が目を閉じると、木々の葉が擦れるような、微かな雪の降る音さえ部屋の中に響き渡るようだった。  眠気が来るのを待つものの、どうにも落ちつかない。先ほど赫が言いかけた言葉が、脳裏をちらつくのだ。頭から邪念を追い出そうと寝返りを打つたびに、心の中の引っ掛かりが大きくなっていく。  やがて修造は諦めてため息をついた。いずれ聞くなら、今聞いてしまっても構わないだろう。赫に背中を向け、口を開く。 「なあ、さっき言いかけてたけど……やっぱりお前、人を食って強くなるのか?」  返ってきたのは、しん、とした沈黙だった。だが寝てはいないだろう。修造の、猟師としての感覚がそう告げていた。 「……うん」  辛抱強く待っていると、やがて雪の音に負けそうなほど小さい声が聞こえた。 「ぼくたちは……妖狐は、人を食べて精力を奪うことで、力をつけるんだ」 「……そう、か」  そう返すのがやっとだった。自分から聞いたことだったが、改めて言われるとその事実をどう自分の中に落ち着けるべきかわからない。  母と妹を食べたあいつと赫は、やはり同じ化け狐なのだ。 「で、でもね、修造」と、震える声が続く。 「……正一くんね、ぼくじゃ、ないよ。こ、殺してなんかないし……もちろん、食べてもない」 「分かってる。狐はあんなふうに人を食わないし、痩せたガキは好まない」  吐き捨てるように言うと、「知ってるの?」と声が少し大きくなる。 「ああ……昔、母と妹が食われた」 「え、っ」 「黒い、九尾の狐だったよ。赫よりもっと大きくて、オレの目の前で……ふたり、を…………」  それ以上は言葉がつかえて出てこなかった。声も上げずに飲まれていったこと、うまそうに笑っていた黒狐のこと、それを見ているしかなかった自分のこと。まざまざと様子は思い出せるのに、口に出すのが怖いのだ。 「あの、修造……もしかして、その狐……」  困惑したような、何か言いたげな声と衣擦れの音がした。 「もう寝るぞ」  それに対し、修造は一方的に会話の終了を宣言した。眠気は相変わらずこれっぽっちもなかったが、これ以上何も話したくない。  うん、という背後からの声と共に室内の火の玉が小さくなる。耳の生えた影が、壁に写って捉えどころなくゆらゆらと揺れていた。
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