積もる雪、先行く尾

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 赫を着たまま、来た道を戻る。斜面を登り、背の高い笹の間をかき分けて進むと、突然目の前に貞宗の顔が現われた。 「ん」 「きゃあッ」  甲高い悲鳴を上げて飛びあがった貞宗は、へっぴり腰で持っていた鉈を顔の前に構えた。一呼吸の間そのまま睨み合うと相手が修造であることに気づいたようで、安堵したように白い息を吐いて両手を降ろす。 「な、なんだ、修造か。脅かすなよ」 「そっちが勝手に驚いたんだろ」 「突然飛び出してきたら誰だって驚くだろが。だいたい何だ、桶なんか抱えて。風呂にでも行ってたのかよ」 「ああ。向こうの方に湯が沸いてた」 「そ、そうか……」  藪の向こうを指さすと、鼻白んだ様子で貞宗は鉈を腰に戻した。 「そっちこそ何してるんだ、鉈なんて抱えて」 「何って、お前はいねえし親父も腰やっちまったから、俺が正月用の飾りと薪を採りに来てんだろが」  もうそんな時期か。赫の家では薪が必要ないし、暦もないからすっかりそんなことは忘れていた。あー、と修造が間の抜けた声を上げると、貞宗はやれやれとばかりに懐に手を突っ込んだ。キセルを取り出そうとしてまた戻す。 「……修造、お前もう家に戻ってこないのか?」 「そのつもりだが」  頷くと、「そうかー」と貞宗は梅干しを齧ったような顔になった。 「じゃあさ、明日だけでいいから来てくんねえか? 親父が臼出すときにぎっくり腰になったのに、おっ母が『餅は二十八日に搗かなきゃいけねえ』って譲らなくてさあ。このままだと餅の大半を俺が搗かされる羽目になっちまう」 「嫌だよ……結局全部俺にやらせる気だろ。大叔父さんたちだって来るじゃないか」 「来ると思うけどさあ、結局あの人たち最初ちかーっとばっかりこねくり回すだけですぐ『若いもんが搗け』ってなるだろ! できた餅は分けるからさ、お願いだよ!」 「えぇ……」 「いいね、お餅! 行こうよ修造!」  不意に赫が声を上げた。「うおっ」とまた貞宗が飛び上がる。 「お、おおお……なんだ、化け狐ってのは毛皮になっても喋れるもんなのか」 「失敬な。なめされてなんかないぞ」  もこもこと動いた赫は修造の背から離れ、人の形に戻った。耳を動かしてくるくる回り、三本の尻尾を振り回す。 「ほら、ちゃんと生きてるだろ、よく見てくれよ」 「な、何だよ……もう……」  呆れたような顔になった貞宗は、ふっと口の端で笑った。 「まあ、でも良かったわ。俺ぁてっきりあの狐は死んじまって、修造がその毛皮を形見に着てるんだとばっかり思ってたよ」 「そんな未練がましいこと、このオレがするわけないだろ」 「いいやお前はそういうやつだ」  なぜだか決めつけてきた正宗は、修造の横に立つ赫をしげしげと眺めて感心したように頷いた。 「それにしても、すげー色男になるもんだなあ、さすが狐だな」 「え、そうかな……んふ」 「これじゃあ修造が帰ってこねえのも仕方ねえな、こんな美男子をなあ、山の中に独りきりにできるわけねえもんなあ」 「ん、むふふ」 「うるさいな……」  しっしっと修造が手を振ると、「はいはい、それじゃあ俺はもう少し薪を採って帰りますよ」と貞宗は歩き始めた。くるりと振り返る。 「餅! 明日だかんな! 忘れんなよ!」 「行くなんて言ってねえだろ!」 「来い!」  山道を去っていく貞宗を見送ってから、家への道をまた歩きはじめる。修造の回りを跳ねるように前後しながら、ニヤニヤと赫がついてくる。 「ねえ修造、『色男』だって」 「……良かったな」  長羽織がなくなってしまったので寒い。足早に雪の中を歩いていると、前に回り込んできた赫に足を止められた。 「ね、修造はぼくのこと、どう思ってるの?」 「ん……」  直球な質問に黙り込むと、それが気に入らなかったのか赫はムッとした顔になった。とりあえず頭を撫でてやると、更に眉間のしわが深くなる。  裸で抱き合ったり唇を合わせたりしてるんだから察しろ、と思ってしまうが狐には難しいのだろうか。 「……色男だと、思ってるよ」  なんとかそう言うと、一瞬だけにやついた赫が慌てて不満そうな顔を取り繕うのが見えた。  実際のところ、修造から見て赫は非常に魅力的な容姿をしている――と思う。  柔らかな髪の毛は狐の時と同じくふわふわで触り心地がいいし、整った顔の上にある猫のような目は見ていて飽きず、時折切なげにそれが伏せられる様子は悩ましげで情欲を掻き立てられる。赤い爪のついた指はほっそりとして美しく、それに触れられる自分をつい思い描いてしまう。  だから、こういうのは非常にまずい、と自分の腕の中にいる赫を見下ろす。 「……しゅーぞー……ふふ」  とろとろと目を開けた赫が、甘えた声で顔を擦り付けてきて、干したばかりの布団のような匂いが鼻腔に広がる。
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