積もる雪、先行く尾

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「じゃあお前も湯に入りに行けばよかったじゃないか」 「嫌だよ、毛だらけになりそうだし。ノミとか変な病気とかうつされたらどうすんだよ」 「……」  褒められているのか貶されているのか。とりあえず赫にノミはついていないし病気だって持っていないんだが、と立腹しながら修造が黙って話を立ち聞きしていると、「そうかもしんねえけど、、俺はやっぱ狐は信用ならねえと思う」と先程の二人とは別の声が響いた。 「北の白土村で盆ごろに大火事があっただろ。あれも狐の仕業だっていうし……あいつが出てきたのもちょうどその頃だろ。なんか関係あるんじゃねえのか」 「白土村……って言うと都の方だろ、随分と遠くだな、火事なんてはじめて聞いたぞ」 「そんな遠くのことがここに関係あるのか?」 「いや、なんでも白土村には大きな狐が住んでいたらしくてな、これまでは上手くやってたんだが、夏の雨乞いの礼が足りないだか何だかで揉めたらしい。小さい村だから、ほとんど生き残りもいなかったとかで……」  礼が足りないと村を燃やす狐。修造は草履を脱ぎ捨て、座敷に飛び込んでいた。 「おいっ!」 「うわ修造、いたのか⁉」  ギョッとした顔をする叔父の妹婿と従兄弟叔父の間に割り込み、声の主である茂文(シゲフミ)――確か曽祖父の兄弟筋にあたる男だ――に駆け寄る。 「いやあの、いや、お前のあの狐がどうとかそういうことじゃなくてな、あの」 「待て!」 「お、落ち着け修造!」  修造の剣幕に驚いたのか、言い訳しつつ逃げ出そうとする茂文に掴みかったところで従兄弟叔父が仲裁に入ってくる。三人で揉み合い、団子状になる中で修造は叫んだ。 「そ、その話、詳しく聞かせてくれ!」  赫が戻ってきたのは、傾いた太陽が山の向こうに隠れようとしていた頃だった。  玄関をくぐり、すたすたと歩いて戻ってきた宗二郎に皆が唖然とする中、背負籠に鏡餅を入れた修造は赫を引っ張るようにして家を後にした。  赫の肩に手をかけて笑う貞宗も、せっかくだから今日はもう泊っていけというトヨと宗二郎も、いい湯だったと感想を述べる大叔父たちの中で得意げな顔をしている赫も、とにかく全部が不愉快だった。すわ黒狐の情報か、と問いただした茂文も、結局あれ以上のことは知らず、それも苛立ちを募らせていた。  ざくざくと雪の山道を歩く足元は、自分でもわかるほど覚束ない。赫を待つうちに飲みすぎたかもしれない、と思うが、それもさっさと帰ってこなかった赫がいけないんだ、という気持ちに繋がっていく。 「修造!」  よろり、と崖の下に足を滑らせそうになったところを、赫に慌てて引きとめられる。 「だ、大丈夫? やっぱり宗二郎さんの家に泊まったほうがよかったんじゃ……」 「うるせえ!」  赫を突き飛ばすように数歩歩いたところで、今度は雪に足を取られて転ぶ。火照った体に冷たい雪が心地よい。倒れたままぼうっとしていると、回る視界の中に困ったような赫の顔が見えた。 「もー、修造ってば……」  抱き起こされ、背負っていた籠を外される。頭についた雪が払われた、と思うと体がふわりと浮いていた。横向きに抱きあげられたのだ、と理解するのに少し時間がかかった。 「危ないから、暴れないでよね」  そう言う赫の白い喉が目の前にある。少年のような、老人のような、不思議な声。手を伸ばして抱きつくと、襟元から微かに湯上りの匂いがした。 「くせえ」 「ちょっと! そういうこというなら運ばないよ!」  修造が文句を言うと、赫は気分を害したようだった。嫌だ、と修造は赫の肩口を握りこんだ。首筋に顔をつけ、さらに言い募る。 「湯の花くせえ」 「はあ? いい匂いだろ湯の花は」 「くせえもんはくせえんだよ!」  赫が他の人を温泉に連れて行った、というだけで悋気を起こすような男だとは思われたくなかったが、黙って我慢することもならなかった。誰が悪いわけでもないのだが、とにかく嫌なものは嫌なのだ。自分でもよく分からなくなってきた八つ当たりをただ赫にぶつける。 「何なんだよもう……飲みすぎだよ」 「うるせえっ! じゃあもう降ろせよ! オレなんか置いてお前だけ戻ればいいだろ! そんで貞宗にでも尻尾振って一緒に寝てろ! くそが!」 「なんでだよ、するわけないだろそんなこと」 「うるさいうるさい! 降ろせよ! 降ろせ馬鹿野郎!」 「もう! 暴れないでって言っただろ!」  赫にしがみついたまま足をばたつかせると、ぎゅうと強く抱きしめられる。 「ん」  その腕は、細いけれども力強い。思わず修造がおとなしくなると、ああ、と疲れたような声を赫は漏らした。 「もう少しで着くから。ね? ちょっと静かにしててよ修造」 「うん……」
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