春、来訪するのは

5/5
前へ
/48ページ
次へ
 声が出ない。だが出たとしても何も言えなかった。動揺して全弾外すなんて素人以下だし、逃げられると思った距離はあっさりと詰められている。  足を噛まれ、木に叩きつけられる。嫌な音がして、目の裏で火花が散った。 「まあ待ってなよ、あいつの死体の隣でじっくり……あ、逆のほうがいいのかな、どうしよ」 「修造にっ、手を出すなあっ!」  叫び声とともに、全身火の玉になった赫が黒狐の横腹に突っ込んできた。突き飛ばされた黒狐の牙が修造から離れ、絡み合いながら斜面を落ちていく。  咳き込みながら修造は袂に手を入れた。指先の感触を頼りに隠し弾を取り出し、銃に込める。くらくらする頭を上げ、木に寄りかかって座り込んだ。さっきより暗くなってきた視界に、全身を燃え上がらせた赫と、それに対峙する黒狐が見えた。そこまでしても赫の劣勢は変わらず、修造と同じく前足を噛まれて振り飛ばされるのが見えた。  狙いを定める。今度こそ外すわけにはいかない、と思うが気負いはなかった。  赫に噛みつこうとして黒狐が飛び上がり、大きく見開かれた紅い目が見えた。  重い破裂音とともにその体が傾ぐ。ドサリと落ちたのを見届けて、修造は銃をおろした。 「修造、修造!」  よたよたと赫が駆けてくる。 「ばか……オレじゃなくて……」  頭を撃ち抜いた、と思うが化け狐なので分からない。ちゃんと確認しろ、という前に、人の形に戻った赫に抱きしめられて声を出せなくなる。 「莫迦はそっちだ! 隠れてろって言ったのになんで来たんだよ!」 「あー……」  気が抜けてきたせいか、段々目の前が暗くなってくる。また血で濡れた尻尾に手を這わせ、修造は呟いた。 「……赫が、帰ってこないと、思ったから」  びくりと赫の体が震えた。 「逝くなら、一緒がよかった……」  ゆっくりと沈んでいくような感覚の中、修造は目を閉じた。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!

128人が本棚に入れています
本棚に追加