ぐぜり鳴く、愛の歌

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 得意そうに向かいで笑う赫に手を伸ばし、その耳を撫でる。嬉しそうにきゅっきゅと鳴く赫に下半身が疼き、そそくさと手を離す。「傷が治るまでだめ」としばらく禁止されてしまっているので溜まっているのだ。  ゆっくりと朝食をとり、お茶を飲む。お膳を手に持った赫は、「修造は寝ててよね」と立ち上がった。 「赫」  低く名前を呼ぶとピンと耳が立ち、かたりと赫の手に持ったお膳が音を立てた。お膳を片付ける背中をじっと見ていると、やがて観念したようにしおしおと修造の前に戻ってくる。 「な、なあに……」  俯き加減でちらちらと修造の事を見てくるのは、やはり赫の側にもやましい気持ちがあるのだろう。  さてどこから話をしたものか。少し考えたが修造にはいい切り出し方が分からなかった。 「あの、黒い狐。お前の兄弟なのか」  結局前置きも何もなく一番気になっていたことを問うと、きゅう、と赫は尻尾を抱えるようにして丸まった。 「……う、うん。あの……黎(レイ)……兄さん」  なるほど黎というのか。子供の頃は「お狐様」としか呼んでいなかったし、それからもずっと「狐」としか思っていなかった相手に名前があると聞いて、修造は少し意外な心持ちだった。木の股から生まれたと思っていたわけではないが、赫同様あの狐にも名前をくれる親がいたということを想像もしていなかったのだ。 「あいつが近くにいるの、ずっと前から気づいてたよな?」 「うん……」 「なんで黙ってた?」 「……」 「おい、赫」 「だ、だって、言えるわけないだろ!」  叫ぶなり赫はもこもことした尻尾の中に隠れてしまった。修造の方を向いた耳だけが飛び出している。 「人食い狐が兄弟で、しかもぼくのせいでこの村に目をつけているなんて……言えるわけないじゃないか」 「赫のせい?」  どういうことだ。修造が眉をひそめると、尻尾の間から声が聞こえた。 「猟師を嫁にした変な狐がいる、って噂が広まってて、そのせいで黎がここに来ちゃったんだ。それで、出来損ないって追い出したぼくが修造といるのを見て……騙しやすそうな村だなって、思われたみたいで」 「それは……お前は悪くないだろ」 「でも、ぼくがここにいなければ、この村が狙われることもなかったから」  きゅう、と鳴き声を発する毛玉を修造は撫でた。尻尾をめくると、うるうると泣きそうになっている赫の目が現れる。 「それで、独りでなんとかしようとしたわけか」 「だって修造……嫌だろそんなの。知られたくなかったんだ」 「馬鹿だな、狐ってやつは」  尻尾の中に手を突っ込み、修造はふにふにと搗きたての餅のような頬をつまんだ。 「そんなんでお前のこと、嫌いになるわけねえだろ」 「うきゅう」 「『言ってくれなきゃわかんない』だの何だの言ってたくせに、自分はだんまりってどういうことなんだよ」 「うう……ごめん」  ふにふにと頬を引っ張ると、尻尾の間から赫の顔が出てくる。 「でも、でもでも、僕に言ってないことがあったのは修造も一緒じゃないか」 「えっ?」  思わぬ反撃に修造が手を放すと、少し赤くなったほっぺたを押さえた赫が修造の前に座り直す。 「黎兄さんが、昔修造の家族を食べた狐だなんて……教えてくれなかったじゃないか」 「なんでそれを……」 「修造が寝てた間、宗二郎さんが教えてくれたんだ」  今度は、じっと見つめてくる赫に修造がたじたじとなる番だった。紅い目は責めているというよりもただ悲しげで、それがかえって辛い。 「そんなの赫に話してどうにかなるわけじゃないし、聞いて楽しい話でもないだろ」 「それは、そうだけど」  しゅんとなって畳の目を見る赫は、いつにもまして小さく見える。気持ちを伝えるのは難しいな、と修造は腕を組み、少し考えてから言いなおした。 「……赫が、傷つくと思ったんだ。そんなこと知ったら絶対気にするだろ」 「そりゃ気にするにきまってるだろ! 気にするし、知りたくなかった話ではあるよ、そりゃ。でもだからこそ修造からちゃんと聞きたかったし、教えてほしかったよ!」 「そうだな」  修造が小さく笑うと、「あ」と赫は耳を伏せた。 「そっか。修造も僕も……おんなじこと、してたのか」 「だな」  隠していたわけではない。ただ、相手に伝えても状況が変わるわけではないし、ただ傷つけるだけだと思って黙っていたのだ。  真実を知った相手が、余計に傷つくとも思わずに。  けきょっ! とまたウグイスの声が聞こえた。自分もあんなもんだろう、と修造は庭を見る。ああやって愛を囀っているうちに、少しずつ上手くなっていくのだ。 「夫婦ってぇのは、思ったより難しいもんだな」
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