山の中、木霊する

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 しばしの間ののち、修造はその手を取った。しん、と静まった廊下を進む。さわさわと人の息遣いの漏れてくる襖があくと、この日のために襖を外した続き間に、ずらりと親類が並んでいるのが見えた。今回は村外から来たものもおり、その数は修造が送り出された日よりも多い。  最初、修造は叔父夫婦と貞宗だけで、こじんまりと祝宴をあげられればいいと思っていた。二度目だし、また呼ばれても迷惑だろうと思ったのだ。  それが、なぜかわからないが気づいたらこうなっていた。赫が黎と山で火の玉を撃ち合う様子は村からも見えていたようで、「村を守った二人に礼を返したい」との言い分だったが、何かにかこつけて飲んで騒ぎたいだけ、あるいは単に狐の夫、男の嫁というやつがどんなものか興味があるという好奇心のような気もする。だが、それでも赫が認められたようで修造は嬉しかった。  穴が開くのではないかと思うほどの視線にさらされながら、しずしずと並んだ親戚の真ん中を修造は通り抜けた。一番端に座る宗二郎と目が合う。先ほどのトヨと同じような顔をしているのを見て、修造も目頭が熱くなる。 (最初疑ったりして、随分悪いことをしてしまったな)  あの時は、まさかこうなるなんて思ってもいなかった。  全員が座っている中、一番奥にいる赫だけが立っていた。その姿を見た瞬間、修造はに目が離せなくなった。離れていくトヨの手を感じながら、その姿にただ見惚れる。  腰まである長い髪は絹のように輝き、炎がちらちらときらめいているようだった。その間からピンと伸びる大きく真っ赤な耳も、尻から生える六本の尻尾も、丁寧にくしけずられてふわりと滑らかな光沢を発している。そして、はっきりとした眉の下にある切れ長の眼が、優しくに修造を見ていた。 「綺麗だよ、赫」  横に並んで小さく囁くと、修造も、と嬉しそうな声が返ってきた。  今度は、嬉しい、と思った。  腰を下ろすと、二人の目の前に三方に載った三段重ねの盃が置かれた。大叔父の孫たちが、そこにお屠蘇を注いでいく。  一枚目の盃に赫が口をつける。三回に分けて注がれた酒をゆっくりと飲み干すと、その杯が修造に回ってくる。とろりと甘く、そしてぴりりと舌を刺す酒は、赫を殴り、一人で飲んだあの満月の夜よりも美味い。二段目、三段目と杯を重ねていくうちに全身が熱くなっていくのは、きっと酒だけのせいではなかった。  一番大きな杯が修造から赫に戻り、ひらりひらりと蝶のように何度も杯を上げ下げしながら赫がそれを飲み干して三方に置く。ことり、という音は大きく響いた。  横目で見ると、赫も同じように修造を見ていた。長い尻尾が修造に巻き付く。  杯が下げられ、鮎の背越しや長芋の煮物が乗った膳が並べられていく。めったに見ない鯛や大きな海老に修造が心を躍らせていると、玄関の方から 「わっ」と声がした。 「……?」  山の中まで人を呼ぶのは大変なので、赫の家は今日、修造の家に繋げたままになっていた。ここは赫の家だが、玄関口のあたりだけは村の修造の家になっているのだ。  何事か、と修造が腰を浮かすと、膳を運ぶ再従姉妹を突き飛ばすようにして権治が部屋の中に入ってきた。 「お前っ……」  赫を撃っただけでは飽き足らず、祝言の邪魔までしにきたか。赫をかばうように立った修造の前まで駆けてきたかと思うと、突然権治は「すまなかった!」とその場に土下座した。 「……は?」 「俺、勝手な勘違いでお前らのこと撃っちまって……ほ、本当に、あの、申し訳ない!」 「ああ、そう」  いくら謝られたとしても、向こうにそのつもりはなかったとしても、修造は赫を撃った権治を許す気はなかった。せっかくの宴席を、こうやって台無しにされたことにも腹が立つ。謝っている側はわだかまりが解けていい気分かもしれないが、された方はたまったものではない。  先ほどまでとは別の意味で視線が自分たちに集まっているのを感じながら、少しくらい殴ってもいいだろうか、でもこんな席だしなと迷う。権治からはすでに酒の匂いもして、酔った勢いで突撃してきてしまったのが伺えた。  権治を見下ろして立ち尽くしていると、「いいよ」と修造の背後から声が聞こえた。 「赫!」  何がいいものか。修造が抗議の声を上げると、羽織の裾を引いた赫が小さく首を振った。渋々また腰を下ろすと、とんとんと修造の背中を赫が軽く叩いた。その感触に、不本意ながら気持ちが宥められていく。そうだ、今日はこんなことで争う日ではない。 「権治、顔を上げて」  赫の声に、きょろ、と不安げに顔を上げた権治は大分やつれていて、修造はぎょっとした。 「ぼくはもう、気にしてないから。分かってくれたなら嬉しいよ」  そう言いながらお猪口を権治に渡し、徳利から酒を注ぐ。 「赫……」
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