月夜に岩、どこか彼方で

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 リリリリリリリ、と虫の声が聞こえる。  修造が干しヤマメを炙ると、香ばしい匂いがふわりと立ち昇った。おかわりの徳利とともに戻ると、部屋で晩酌をしていたはずの赫がいない。かわりに襖が開け放されていて、暗い縁側で揺れる赤い尻尾が見えた。 「なんだ、庭見酒か」  今日は薄曇りで暗いが、二人の目なら何ら問題はない。修造が赫の横に腰を下ろすと、「んふふ」とすでにほろ酔いの赫が修造に指先を差し出した。 「修造、見て」  その爪先が光り、ふわりと小さな光が浮かび上がる。明滅しながらゆらゆらと漂い、庭木の間へと消えていく。 「蛍か。綺麗だな」 「池に住んでたみたい」  指し示す赫の指先を見ると、同じような光が庭の中にいくつも浮かんでいる。点いたり消えたりを繰り返しながら飛ぶ光に修造は手を伸ばし、捕まえようと思ってやめにする。短い命を燃やして飛ぶ光に、邪魔立てするのは無粋な気がしたのだ。代わりに隣りにいる赫に寄りかかり、恋に身を焦がす虫の訴えを眺める。 「修造」 「ん?」  紅玉のようなきらきらとした瞳に見つめられ、修造は体の奥から熱くなってくるのを感じた。くるりと体に巻き付いてくる尻尾に背中を預けて目を閉じると、柔らかな赫の唇が修造に押し付けられた。 「んっ……ふ……」  少し酒臭い互いの舌を絡め合い、吐息を漏らしながら吸いあう。とろりと潤み始めた目で見つめ合ったところで、さあっと辺りが明るくなった。月にかかっていた雲が晴れたのだ。  そちらを見上げると、白く照らされた華燭山の頂があった。前のものと少し形の違う、そして黒い炎岩が鎮座している姿も、もう見慣れたものだ。 「赫……そういやお前、嘘ついてたか?」  ふと考えたことをふわふわとした頭で口にすると、「ふえっ?」と赫が瞠目した。 「お前が岩になってたの、封じられてたんじゃなくて……自分でなってたんじゃねえのか?」  責めるつもりはなかった。ただ、あの黒い炎岩が黎の変化した姿なのだとしたら、その前の白い炎岩も赫が自分で姿を変えたものではないかと思ったのだ。 「ん、んん……」  気まずそうに赫は耳を回し、それから「うん」と頷いた。 「何だってそんな嘘ついたんだ」 「いや、だって……恥ずかしいだろっ、赤子を食うのに失敗して怒られて、あそこで泣いてるうちに気づいたら石になってたなんて」 「毎回よくわからない部分で恥ずかしがるな、赫は」  赫の背に手を回し、修造は微笑んだ。 「ってぇことは、あいつもまたそのうち出てくるのか?」 「う、うん。でも、すごく力を使うから、短くても二百年かそこらは無理だと思う」 「そうか」 「あ、あの……今のうちに壊そうか、岩。そうしちゃえば二度と狐に戻れなくなるし……」  困ったような顔をしながら、きゅきゅと修造に顔を擦り付けてくる赫を撫でる。柔らかな髪の毛の感触を感じ、修造は目を細めた。 「赫、石の中にいるってのはどんな感じなんだ」 「えっと」  ぺたりと赫の耳が垂れる。 「冷たくて……寂しかったよ。誰も来てくれないし、風雨にはさらされるし、話すことも動くこともできなくて……」  きゅう、と鳴く鼻先に、修造は自分の鼻を合わせた。 「なら、いい。あのままで」  殺してやりたい、とずっと思っていた。だが、今となってはどうしたらいいか分からなかった。同情はできないが、理解はできる。 (あいつも赫も、多分……同じだったんだよな)  寂しくて、誰かに受け入れてもらいたかった。手段が違っただけで、多分求める先は同じだったのだ。  許すことはできない。だが、いつか誰もが黎のことを忘れた遠い未来に、またあの岩が何かの拍子に割れることがあったら――それはそれで、いいと思った。  横にある猪口を取り、中に入っていた酒を口に含む。赫の口の間に舌を差し込み、とろりと甘い酒を流し込んだ。あれは祝言だから甘いのかと思っていたが、どうも赫はこの甘い酒がお気に入りらしい。赫も同じようにして修造に与えてきた酒を飲もうとすると、たらりと口の端から雫が垂れた。舌で舐めとられ、背中を尻尾に包まれたまま縁側に押し倒される。 「は、あっ」  布越しに互いの硬くなったものが触れ合い、修造は上ずった声を出した。見上げた赫の眼の中には、自分だけが映っている。 「見せつけてやろうぜ、あいつに」  囁きながら、修造は赫の腰に手を回した。解けた帯がするりと垂れてくる。 「うん……ふふ」  はにかむように目を細めた赫が、修造の脚を撫でた。するすると脚の上を這った指先が、着物の裾の中から潜り込んでくる。  そして、二人を照らしていた月が恥ずかしがったように、また雲の後ろに隠れていった。 【終】
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