遅い初恋

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(天使のようだ……)  その背中に羽が生えちゃいないかと、イアンは何度も目を擦るが……どうやら羽は生えていないらしい。  ――ここまでして、イアンの顔色はみるみる青くなる。自分の発想に自分で引いたのだ。 (て、てん……し? て?? 羽って? は? なんだ、それ? 俺が? お? お?) 『処す』 『潰す』 『火を放て』 『前進』 『進撃』  軍人になって、多く発した言葉。もっと過激な言葉をその場の雰囲気で発した事もある為記憶にないものが殆どだ。なんせ頭の中は常にスェミス大国の防衛と戦争を仕掛けようとする敵国を如何に潰すか、自国にスパイは潜り込んでいないか、とアンテナを張っているばかりだ。そんな自分の口から『天使』というメルヘンな言葉が発せられるなんて信じられない。 「だいじょうぶ?」 「俺の頭は大丈夫だ」  女の子はイアンが胸を押さえているから心配したのだが、違う返答が返ってきた。しかし、気にしていない様子だ。 「だいじょうぶ、なら、よかった!」  純粋にイアンを心配していたようで、安堵した表情が返ってくる。それを見てキューンと胸がときめいた……のだが、イアンは『ときめき』を『不整脈』だと勘違いした。  心を落ち着かせる為にイアンは深呼吸を繰り返し 「どうしてここで寝ていた?」 「ねていたんじゃないの、かくれていたの」 「隠れて……?」 (誰から?) 「親は?」 「おかあさまは、おつきさまにいった」  空を見上げた姿を見てイアンは「しまった」と内心呟いた。「お月様に行った」というのは亡くなったという事だろう。大人は子供に真実を告げずに濁してそう伝えたのだ。 「おかあさまに、あいたい」  その声音は弱々しく、妙に心苦しくさせる声だ。悲しい思いをさせてしまった事をイアンは後悔──したものの、他人を慰める言葉が思い浮かばない。言葉が見つからず夜空を仰いだままの少女をじっと見つめた。月夜の闇の中、月光の光の中に居る女の子は、絵画から飛び出してきたような、現実とは思えない美しさだった。風が吹けば、銀色の髪がサラッと揺らぎ、星空の光で銀色がより一層光を増す。月夜の下でもこんなに綺麗なのだから、明るい場所で見たらより綺麗な髪だろう。あまり感情を表に出さないイアンでも、この少女を美しいと思う。しかし、それよりもイアンの心に浮かぶのは、底知れぬ不安だった。現実世界と思わせない目の前の情景がいけないのだろうか。手を伸ばせば触れる距離に居る筈なのに。今にも月が連れ去ってしまいそうな儚さがイアンの心を掻き乱す──……。  ──不意に。  琥珀色が金色の瞳の中へ飛び込んで来た。  アーモンドの形をした目がイアンを捉えた。  金色の目が琥珀色を映し出してイアンの意識は、現実世界に浮遊する。しかし、琥珀色の瞳はまたもやツイっと逸らされてしまった。イアンは落胆した。能面顔は子供からのウケも悪い。睨んだつもりはないのに、皆からそう思われてしまう。今まで気にした事がなかったというのに、イアンは生まれて初めて自分の顔つきの悪さを呪った。  誰も言葉を発さず、風と草が擦れ合う音しか耳に入らない。イアンに小さな背中を向けたままで、ジャスミンを摘む事に一生懸命だ。 『どうして夜中に隠れている?』  母親は亡くなっているなら、父親と城へ来たのか、それならどうして父親から離れて、こんな所で寝ていたのか──本人曰く隠れていた、だが……誰から隠れていて、その理由はなんなのか……。貴族なら従人が居る筈だが、その姿がない。 (従人を雇えない程貧乏なのか……?)  少女が身に纏っている純白のドレスは良く似合っていて、より一層彼女の天使っぷりが発揮されている。どう見てもイアンの目には安物のドレスには見えず、生活に困窮しているように見えなかった。──実のところ、少女のドレスは現流行よりも前に流行った子供用のドレスである。ファッションに詳しくない男が見て分かるものではなかった。  簡単な質問さえ出来ない自分を不甲斐ないと思ったイアンは眉間を押さえた。 (今更だが──茶会や舞踏会で女と会話を繰り広げていたら、言葉が簡単に思い浮かぶものなのか?)
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