遅い初恋

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 スェミス大国の騎士団と国軍はそれぞれ独立した組織で、騎士団は城内を警備し王族を護衛している。王族へ忠誠を誓い、王族の為に動く組織だ。軍は国家を防衛している機関であり、将軍の命令にのみ従い、王族だからと言って従う事はない。それなのに、友好的な関係を保てられているのは、互いの領域に口を出さないからだ。一方帝国は、騎士団と軍はお互い独立した組織だがそれは表向きだ。それぞれ指揮官は居るものの、彼らは名ばかりで兵を動かす事は出来ない。皇帝が二つの組織を牛耳っていた。皇族と帝国の防衛を司る二つの組織は皇帝の命令でのみ動くのだ。領地にある騎士団も領主よりも皇帝の命令が優先だ。万が一逆らえば文字通り命がなかった。それは、本人だけではなく一族にも及んでしまうものである。騎士団と軍に入る際に皇族の前で捧げる誓いは最早命懸けだ。自分だけではなく家族まで巻き添えになってしまうのだから。 (まさか、この子はネロペイン帝国の皇女か?)  皇帝との謁見の間に居たのは、皇帝と第四側室までの妻とその娘達。あの中に第五側室が産んだ六歳の末娘が居たが、それはこの子じゃなかった。 (では……皇帝の親族か?)  確か、現皇帝には腹違いの弟がいて、追い出されるように辺境伯の一人娘に婿入りさせられた。四人の息子と娘が一人居るらしいが、その末娘なのだろうか。辺境伯の娘なら領地の騎士に誓いを捧げられてもおかしくない。むしろ、代々騎士の家系だった筈。  誓い、と言っても王命があれば、皇帝が優先でありその誓いは破られねばならないが……。  アンが寝ている間にこっそりと抜け出し、子供の足でここまで来れるだろうか──辺境の距離ならまず無理だ。 「家はどこだ?」 「アンがおしえちゃダメって」  アンが目を離している隙に少女を夜中に出歩かせてしまったが、少女にしっかり躾をしているようだ。そのお陰でこの子の身の上は何一つ分からない。騎士の名前が『アン』という事だけ辛うじて分かった。  歩いて来れるのだから、そう遠くはないだろう。しかし、この城の周りは帝国の私有地の森が広がっていて、首都まで距離がある。  門兵は部外者を簡単に入れるのか? 「歳はいくつだ?」 「ろくさい!」 (年齢は大丈夫みたいだ)  六歳にしては幼い気もするが……。  イアンは自分が六歳の頃を思い浮かべたが、彼は背伸びした六歳児だった。そんな自分と比べるのは間違いである。 「好きな花は?」 「ジャスミンがすき。しろいおはながすきよ」 「好きな食べ物は?」 「ビーフシチュー」 「嫌いな食べ物は?」 「まめ」 (お見合いか?)  そう思いつつも、答えてくれるのでイアンは質問を捻り出して訊ねた。少女の事をもっと知りたいと思った。 「好きな色は?」 「くろ」  黒が好きとは意外だ。白色のジャスミンが好きだから、白と答えると思った。 「わんちゃんのかみのいろ、すき」  唐突にそんな事を少女から言われてイアンは戸惑った。自分ではなく髪色が好きだと言われたのに、自分を好きだと言われたようで妙な気分だ。 「わんちゃんのえがお、かわいい」 「かわ……?」 「うん!」    イアンは口角を人差し指で引っ張った。無意識に笑っていたようである。   「ニコッてわらうの、わんちゃんにそっくり」 「かわいい」とニコニコと屈託なく少女は言った。  犬にそっくりだと言われているのに、目の前の笑顔が尊くて、イアンにとってそんな事、どうでも良かった。  その笑窪の方が俺よりも何百倍も可愛い。こんな屈強な男が、敵うわけがない。 「俺よりも、お前の方が、か、か」 「か?」   『お前の方が可愛い』  と言いたいのに、喉に骨が引っ掛かっているようで言葉が出ない。十七年発した事は一度もない単語ではあるが知らない単語ではない。『かわいい』という四文字を年端のいかない子供相手に言えないのか。   (初めて、戦地に立った時より緊張してる……?) 「かっ、かっ、かっ、かっ」  言葉がつっかえて、続きを言えない。 「かっ、かっ、かっ、かっ」   (くそっ! 言えない!!) 「かっ、かっ、かっ、かっ」 (相手は子供だぞ!) 「かっ、かっ、かっ、かっ」 (かに続く、わも言えないのか!)  外は肌寒い筈なのに、イアンは妙に熱かった。額にドッと汗が吹き出し、口が渇く。  ふと、鈴のような笑い声が耳に入った。  声の主に目を向けたら、無邪気な笑顔が飛び込んでくる。目の前をライトで照らされたかのように眩しかった。    「わんちゃん、リンゴみたい!」    イアンは少女からそう指摘されて、瞠目し、咄嗟に両手で自分の頬を挟んだ。掌に伝わる熱が確かに熱い。自分の体温がやたらと熱いと思ったのは、顔が赤くなっていたからか──。
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