遅い初恋

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「俺の国では男性からダンスを誘うんだ。それを断られてしまったら、とても悲しいんだが……」  自分の国ではラストダンスはペアと踊るのが習わしだが、それを少女に言えば、アンを理由に断られるだろうから、イアンはその事は少女に伏せた。 「アンがダメ、って……」  再度断ったものの、イアンの表情を見て少女は狼狽えた。──捨てられた仔犬のようだったから。  首を捻った姿が、ある日突然姿を消した黒い仔犬に重なってしまう。わんちゃんは心細い時、首を傾げてつぶらな目で見つめてきた──……あの目にそっくりだ。  気まずそうに俯いた少女を見てもイアンは諦めなかった。しぶとさが、イアンのウリだ。その事をイアンは思い出した。 「俺の母親も月に居る」 「ほんとう?」  少女は顔を上げて、地面に片膝を付くイアンを見下ろした。  死んだ人間は月に行かない事は知っているし、ましてイアンは産みの母親に会いたいという思慕はなかった。ただ、少女の想い通りに、亡くなった母親にダンスを見せてあげたい、少女の願いを叶えてあげたかった。自分らしくないメルヘンな事を口に出しているとしても、大した事ではない。   「……あぁ。だから、君と踊って見せてあげたいんだ」  ゆっくりとした穏やかな口調だった。 「……おかあさまは、ひとりじゃないから、さびしくないね」 「そうだな」    金色(こんじき)の瞳で真っ直ぐに見つめる。すると、少女はイアンの手と顔を交互に見つめながら申し訳なさそうに眉を下げた。また断られてしまうのか、と緊張してゴクリと喉を動かすと、それは杞憂だった。 「あのね……わたし、おどれないの」 「おどったことないの」と、申し訳なさそうに俯いた少女を下から覗き込んで、イアンは心配ないと首を振った。そして黙って微笑む。無言の笑みは──穏やかでとても温かかった。 「俺も踊れない。踊った事がない」 「そうなの?」 「初めて同士、一緒に踊らないか?」  イアンの自分を見つめる愛しそうな眼差しと、穏やかな笑みが、大好きな母親ととても似ていて、少女は無性に泣き出したくなって、涙腺が緩む。ある日突然、月へ行ったとアンから聞かされて以来、その目を見たいと何度も願っては、枕を濡らし続けてきたのに……再会できた事が嬉しかった。 「俺と踊って下さいませんか? お姫様」  大きくて何でも包み込んでくれそうな手が再度目の前に差し出され、少女は戸惑いなく、小さな手を重ねた。それと同時にゆっくりと立ち上がった男を見上げる為にゆっくりと首を上げて、イアンの金色(こんじき)の瞳を見つめる。慈愛に満ちた眼差しに、少女は目元を緩めてふんわりと微笑んだ。  遠くから聞こえる音色に乗せて、二人はゆっくりと足を動かす。それは拙い動きだったが、二人の色が闇夜と月夜の光に照らされて神秘的な輝きを放っていた。  
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