遅い初恋

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♦ ♦ ♦ (見られている──……)  スェミス大国軍隊の頂点に立つ、エリオット・サーレン将軍はスェミス大国首都の北部にある軍本部で何者からの視線を感じていた。  サーレンは背中がピシャリと伸びていて、背が高い男だ。幼い頃から苦労したからなのか、まだ四十歳だと言うのにサーレンの髪色は白髪と化している。染める事はしておらず髪を後ろへと撫でつけていて、優し気な目尻に柔らかな皺が刻まれ、一見優男の風貌だが生まれは孤児で、生きる為に十五歳を迎えてすぐに軍隊へ入隊し、将軍にまで登り詰めた。戦場を駆け抜ける姿は、その琥珀色の瞳から「狼」という通り名で知られ、知略に長けた彼は戦前に立ち、彼に付いて行けばその先に必ず勝利があった。三十四歳という若さで将軍に抜擢され、情報戦略を得意とし、その若さで軍を掌握した男である。そんな男が、ただの優男の筈がない。しかし、彼の本質は争いを好まず、質素な性格だ。  そんな彼は、視線の正体を突き止める事はせず、それが誰なのかも気にも留めなかった。  彼は常に死と隣り合わせだった。  赤ん坊の頃から養護院で過ごした。五歳の頃、当時流行っていた感染病で友人と養護院の院長や先生を亡くした中、彼だけは病気に罹らなかった。全員が死に絶えた後に、感染病のワクチンが完成した。スェミス大国の国王は無償で民達にワクチンを提供し、サーレンは友人全員を亡くしてしまった後にワクチンを接種して、彼は生き残った。  軍隊に入隊してからは、同じ釜の飯を食べた戦友が数分後に自分の隣で頭を銃で撃たれて死に、自分に続いて五分後に戦地へ入った戦友が爆弾で死に、少しでもズレていたら、自分が死んでいた状況だった事を何度も経験している。それでも彼は運良くこうして生き延びていた。強者ばかりの軍人を纏め上げ、多くの功績を残し、彼の名は他国名が知れ渡り、軍生活が長ければ長い程恨みを買いやすく、上に行けば行く程、命を狙われる()()が多くなった。常に命を狙われている為に、優しい雰囲気を身に纏っているとしても、常に神経を尖らせて生活していた。そんな彼が自国の軍の本部で視線を何者かに受けているにも関わらず気にしない理由は、気を張らなければならない程のものではなく、常に監視されている訳ではなかったし、殺気を含んでいる訳でもない。命を狙っている様子もないから、放置しておいても問題ないだろう──……。  ──と、思っていたのだが。  何故か、周囲が騒ぎ出した。   ♦ ♦ ♦  早朝「サーレン将軍、お話があります」とユング中将が将軍であるサーレンの執務室へ訪れた。  敬礼をした彼にサーレンは答礼を返し、「部屋に入りなさい」と言った。  しかし、二メートルはあるだろう屈強で軍服の上からでも分かる胸板の厚い男が、顔色を悪くしてドアの前で敬礼したまま動かない。  普段の彼なら図体と同じように声も大きく、陽気な性格で物怖じしない男だと言うのに、今の姿は生贄に差し出された羊のようだった。サーレンの「入りなさい」という三回目の言葉でようやくユングは執務席に腰掛けたイーサンの前まで足を運んだ。  デスクの上で組んでいた両手を外して、ソファーを差して座るように促す。なんせユングの顔色が青色を通り越して土の色なのだ。しかし、ユングは弱々しく首を横に振って断った。   「……何か悪い事でも起きたのか?」 「いえ……そういう訳ではないのですが……でも、悪い事と言えば悪い事と言えます」  歯切れが悪い。 「将軍は本部を騒がせている噂にお気付きですか?」 「噂……?」  情報は逐一サーレンの耳に入る。軍隊に入隊する人間のバックグラウンドとバックボーン、恋人、その恋人の家族、ありとあらゆる情報が情報将校からもたされるのだ。基地内で起きた小さな諍い事も届く。しかし、噂とは──……?  サーレンは再びデスクの上で両手を組んで顎を当てたまま、琥珀色の瞳でユングを見上げた。すると意を決したのかユングはこう切り出した。 「将軍が噂を知らないのは、恐らく将軍自身が特に気にしていないからだと思います」 「……気にしていない?」 「将軍はその噂に……と言いますか、噂になる前には既に気付いている様子でしたが、気にしていないようでして、対処せずに過ごしておいででした。その結果、噂になってしまいまして……」 「だから、その噂とはなんだい?」  にっこりと唇を歪めて、脂汗まで噴き出している目の前に立つユング中将に、目配せをして続きを言うように促した。  サーレンは柔和で人が良い表情を浮かべているものの、ユングは圧を感じて身震いをする。 (……誰がサーレン将軍を心優しい紳士だと言った)
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