遅い初恋

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 品性高潔な紳士。スェミス大国の多くの男達は彼を模範しているようだ。元は平民でも、今ではスェミス大国の二大組織のうちの一つ、国軍の頂点に立つ男。四十歳で独身のままでいるサーレンの妻の座に座りたいと願っている女性は多い。しかし美女からどんなにアプローチをされても将軍は全く靡かない。そこがまた、高潔に見えるようで余計人気に拍車がかかっていた。  しかし忘れてはいけないのは、エリオット・サーレンは最年少で将軍の座に座り、今もこうして君臨し続けている。  孤児から叩き上げで将軍になり上がった彼に憧れて軍へ入隊する平民は後を絶たない。それはユングも例外ではなかった。ユングは平民の出でサーレンの夢物語に憧れて軍隊へ入隊した。そこで、サーレンがただの優男ではない事を知る。物事を上手く運ぶ為に敵を巧みに操り、自分の思い通りに運ぶ策略家、目的を果たす為に網を巡らし敵を騙す謀略家でもあり、勝利に導く為に駒を配置し戦略を立て、立てた戦略に沿って駒を動かし戦術を実行する。両方を操り勝利に導く──彼はこういう男なのだ。ユングはそれを知ったとて、彼を神のように崇めていた──が、敵にはなりたくはない。今、目の前で笑顔で見つめられてはいるが、瞳の奥が笑っていないのだ。 「私に言う気になったかい?」 (笑顔が怖い……!)  ユングはビシッと背筋を伸ばし、噂を口にしようと深呼吸を繰り返すも──中々言い出せない。  そんなユングを見てサーレンは笑みは崩さないまま、小さく息を吐いた。ユングが部屋を訪れる前にサーレンの秘書が煎れてくれたコーヒーカップを手に取って口を付ける。白い湯気が消えていたから(ぬる)いと思ったが、コーヒーの熱を唇に感じる。冷めていないようで安心したサーレンは綺麗な所作でカップを傾けて、ブラックコーヒーで喉を潤した。  その時、大きく息を吸い込む音が耳に入った。   「イアンが将軍にホの字だという噂がたっています」  言ってしまえば勢いが付く。  サーレンが苦し気に咳き込んでいる前でユングは一気に伝えた。 「噂の元凶を秘密裡に処理する事も出来たのですが、イアンは軍に属してはいますが第二王子で王位継承権は破棄していませんし、へんに手を出すとなると、軍と王家に確執が生まれてしまうのではないか、と恐れまして。そこで、穏便に『何故将軍を見つめているのか』と訊ねましたら、イアンは自覚がなく、どうすべきか悩んでいたら、ここ最近では候補生まで気付き始めまして、どう収拾すれば良いか分からず、本部の人間殆どが将軍を心配しております。イアンが、将軍を熱が篭った目で見つめているものですから、もし将軍が襲われでもしたら……いや、将軍ですから、勿論対処できますけれど、万が一二人がこう、おかしな事になったら……おかしな事と言うのは、肉体関係……話が逸れました、そういう訳で、要職の人間の誰がイアンの事を将軍に告げるか揉めまして、カードゲームをして負けてしまった私が言う事になってしまったんです!」 「ゴホッ、ゴッ、ゴホッ……!」    サーレンはコーヒーを噴き出そうとするも、瞬発力のお陰で噴き出す前に口元を右手で抑えた。そして噴き出す筈だったコーヒーはサーレンの喉に戻る。そのせいで気管に入り込んで激しく咳き込んだ。  息がつけない程咳き込むと、目の前のユングが動く気配がしてサーレンは息を整いながら手で制してユングを止めた。そうすると彼は、取り出した皺くちゃなハンカチをポケットに押し込む。  呼吸が安定し、椅子に座り直したサーレンは目の前に立つユングを笑みを浮かべて見上げた。   「その噂は、私の秘書の耳にも届いているかい?」 「勿論です」 「でも私の忠実な秘書から何も聞かされていないけど」 「彼は賭けに勝ったんです」 「なるほど。知っていて、報告しなかったのか」 「将軍の右腕と言われている彼ですし、我々より先に将軍と同じタイミングで視線には気が付いていた筈ですし、その視線の主を目にしている筈です」 「ふむ」 「イアンの意図が読めず、将軍に報告できないと」 「まぁ、私に報告する時は確たる証拠を持ってから言いなさい、と言ってあるからね……イアンが私にホの字っていうのは、何かの間違いでは?」 「普段、表情筋が死んだ男がいつもと違う表情をしていれば誰でも気が付きます。将軍も一度、視線を辿って見てみて下さい」 「確かに、視線には気が付いていた……でも、あの彼だぞ? 私をそんな目で見るかな?」
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