遅い初恋

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  ♦ ♦ ♦  不可思議な視線に慣れてきた頃、背後から名前を呼ばれイアンは振り返った。駆け寄ってきたのは思いがけない人物だった。後ろに撫でつけた前髪が額に落ち、嫌味なくらい冷静でいつも笑みを浮かべているサーレンが見た事がないくらい慌てふためいていた。  サーレンへ敬礼をしようと右手を上げると、「そのままで大丈夫だ」と手で制されてイアンは右手を下ろした。 「サーレン将軍、なにか御用」 「ですか」と続けられずに、視線の先のサーレンから右手を掴まれてイアンは目を見開いた。 「まずは一緒に病院へ行こう」 「病院……? 」 「まずは、体内から調べよう。毒を盛られた可能性がある」 「毒とはなんですか」 (どう見ても、俺は健康だ)    自分より細いと思っていた将軍は意外と筋肉があって、自分より強い力で引っ張られ連れて行かれた先は──軍病院だった。  サーレンは目にしてしまったのである──イアンが物言いたげな……熱を含んだ瞳で自分を見ているのを。 「イアンが将軍にホの字だという噂がたっています」と執務室に突撃されてから五日経ったある日、廊下を歩いていると、あの視線を感じてサーレンは足を止め、視線の先に居る正体をついに捉えた。  顔を横に向け、庭を挟んだ隣の軍舎に立つ男を真っ直ぐに見据え、琥珀色の瞳で窓の前に立つ黒い男。遠い距離でもはっきりと分かった──イアンが熱く、潤んだ瞳で私を見ていたのである。そうして、サーレンはその場を離れ、隣の校舎まで走ったのだ。 (これは、まさかと思うが)  イアンという人間は、ブラコン気味な男だ。そんな男が私に恋に落ちる訳がないではないか、よく考えれば分かる事だ。イアンが私の事を蹴落とし、将軍になりたがっている事を知っている。それは、イアンの兄でもある国王の為だ。そんなブラコンな男が、私に恋に落ちる訳がない。むしろ、そんな兆候は一度もなかった。 「もしや」とサーレンは考えた。ネロペイン帝国で毒物でも盛られたのではないか……。そう考えたサーレンは廊下を歩くイアンを呼び止め、無理矢理、軍病院へ連れて行ったのだ。  結果は「健康そのもの」だった。  イアンの口から国へ帰ってすぐ医者に診せたらしく、そこでは「健康そのもの」「毒物反応なし」と診断されたと言われた、と返答を貰う。しかし、イアンと対面した時、彼の様子を見て、やはり何かしら彼の身に何か起きているとサーレンは判断を下した。廊下でイアンの名前を呼んで、振り向いた彼の瞳は……潤んだ瞳を浮かべたのだ。ほんの一瞬の事だったが……。しかも、ユングが言った通り、本人はそれを自覚していなかった。指摘すれば、 「ふざけた事をいわないで下さい」  と()慳貪(けんどん)に返される。いつもの彼だと安心して暫くすると、またもや泣き出しそうな目をして見つめられた。 (毒を盛られた、のではなく、魔術士に呪いでもかけられているのでは?)    だから、医者に診せてもどこも悪くないのだ。 (恋に落ちる魔法でもかけられたのでは……?)  そんな魔法が存在するかは、知らないが。     ♦ ♦ ♦      軍本部では、サーレンとイアンが()()()()()()()()外へ出て行くのを目撃され、二人が結ばれたのだと騒がれていた。実際はイアンを心配したサーレンが嫌がるイアンの手を掴んで、外へ出て行った、が真実だが……「イアン少尉がサーレン将軍にホの字」という噂のせいで、「イアン少尉の恋が成就した」という尾びれが付いてしまい、軍本部は大騒ぎである。  健康そのものと医者から診断されたイアンを、サーレンは外部の魔術師に呪いを受けてはいないかを調べてもらう事にした。大国の魔術師へ相談しなかった理由は、「呪われている」と確証が持てない話を兄と義母の耳に入れて心配させたくないというイアンの頼みから、王都から遠く離れる森の奥に住んでいる「森の魔女」の元へイアンとサーレンは足を運んだ。  魔女というのは女性をイメージするが、「森の魔女」は女ではなく男だった。女の子しか産まないとされる魔女がなんの突然変異か男の子を産んだのだという。        魔女の住む掘立小屋は、壁全面が収納棚となっていて、棚の中に大量の小瓶とボロボロな分厚い本、その隙間に無理矢理捻じ込まれた紙の束が入っていた。棚の重量制限を無視した収納で棚がくずれないものだ。重さで棚の板が歪んでしまっている。ここの主曰く「魔法で崩れずに済んでいる」。それならば、この小屋を魔法で新しく建て直せば良いのでは、と喉まで出かかったが、イアンはサーレンの緊迫した雰囲気に押されて口を閉ざした。   
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