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(白髪のおっさんとは失礼だな──将軍相手だぞ)
「どうしてこういう話になっているんだ。ここは俺が呪いをかけられているかどうかを調べにきただけなんだろ?」
「結果、恋の病に罹っていたんだな。そりゃ医者にも治せねぇな」
ケラケラ笑う魔女を見て、テーブルの上でつい拳を作ってしまう。一般人──と言っても魔女だが、殴りたい。
イアンは席を立とうとしたが──サーレンの重い声で踏み留まった。
「すまない……君の想いに私は答えられない」
申し訳なさそうに眉間に皺を寄せながら、瞼を閉じるサーレンの姿をイアンはゆっくりと首を右に向けた。
何故将軍が謝っているのか……どうして俺は振られたんだ? 告白してもいないのに?
「魔女の媚薬を作ってやろうか?」
魔女をイアンは睨み付ける。魔女は悪気なさそうに謝った。
「恋を忘れる薬も作れるぞ」
目の前にはニヤニヤ笑う魔女、隣には頭を下げるサーレン──……。
「俺は、本当に、将軍に恋をしていない」
怒りを抑えるようにイアンはゆっくりと魔女に告げた。
「鈍すぎるだろ。あんたは白髪のおっさんを切なそうに見てたぞ」
「その呼び方は止めろ。この方はこの国の将軍だぞ」
「魔女は国に属さないから、どんな呼び方をしても良いんだよ」
あぁ言えばこう言う魔女に「本当に恋していないっていうなら、将軍を十秒見つめてみろよ」とイアンは言われた。
「あんたがそこまで否定するなら、恋をしていないっていうなら、十秒見つめたら分かるだろうよ」
「何故俺がそんな事を」
「あんた、恋をした事ないだろ?」
「何故そんなプライベートな事を言わなきゃならないんだ」
(俺は将軍に惚れていないし、『恋』というもののせいで、亡き父親は人前で恥ずかしげもなく泣くような男になってしまったし、死に間際に俺の母親の名前を呼んで引き取った。それを間近で聞いていた兄上と義母はどんな気持ちだったか考えるだけで、父親に対して腹が立つ。どんな時でも傍に居たのは、兄上と母上なのに、この世に居ない女の名前を呼ぶなんて。
『恋』というものがろくでもないと思っている俺が、恋に落ちる訳がないだろ)
そんな事を知らない魔女は、再度「白髪のおっさんを見つめろ」やってみろ、と挑発してくる。魔女を忌々しく思っていると肩を叩かれた。
いつの間にかサーレンは顔を上げていた。
「十秒だけだよ。やってみよう」
口調は優しいも、有無を言わせない強さがあってイアンは小さく頷いた。
(恐れる事はない。ただ十秒見つめれば良いだけだ。いつものように能面顔で……)
イアンとサーレンは長椅子に跨って座り、真剣な面持ちで顔を見合わせた。──ふと、ネロペイン帝国で出会った可愛い少女を思い出した。名前を教えてくれなかった。笑うと周囲がパァっと明るくなって、たどたどしく喋る姿は愛嬌があって、小さくて……ジャスミンで作ってくれた花冠は、腐れないように加工保存を施して、寝室に飾ってある。毎晩、あの花冠を眺めている。
あの月夜の星空の下で踊ったダンスは今まで踊ったダンスよりも楽しかった。
『おかあさまは、みてくれている?』
『もちろん』
『わんちゃんのおかあさまは?』
『見ているよ』
嬉しそうに朗らかに笑って、『よかった、わんちゃんのおかあさんもみてくれているのね』
俺の心配をしているのだと知って、胸が締め付けられた。
いつまでも、愛らしい笑顔を見ていたいと思った。しかし、残酷にも遠くから奏でられる音楽が佳境に入り、終わりが近い事を知る。
寂しく思いながら、見おろすと琥珀色の瞳と銀色の髪を靡かせた少女がこちらを見上げていた──……。
──目の前に、琥珀色の瞳がある。夕焼けのような、煎れたての紅茶のような色。そして、色白の肌に映える銀髪。
つい最近の記憶の少女にしては、目元に皺がある──……。
ボヤけた視界が波を打ち、ゆっくりと元の形を形成する。
いや、元から形なんて崩れていなかったのだ。俺の意識が、飛んでいただけだった。目の前の色を見て、自分の知っている色と重ねて、幸せを感じたあの場所に。
「大丈夫かい、イアン」
心配気な琥珀色。
(あぁ──そんな目で俺を見ないで、くれ)
「────、お、れ、は」
意識を取り戻したイアンの喉からヒュッと息を飲む音がした。それから、ガタっと椅子が揺れた。イアンは、銀髪──ではなく、白髪のサーレンから離れる為に後退った。琥珀色の瞳からも、遠ざかる為に。
(俺は恋をしていた。もちろん将軍ではなく──)
そのまま長椅子から落ちて尻餅をついたイアンは呆然とした後に頭を抱え込んだ。
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