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『犬が欲しいの』
結婚記念日に欲しいものを訊ねたら、おずおずと、犬が欲しいと言われた。
『──真っ黒な?』
『えぇ、えぇ、そうよ……! イアンと同じ色の子ね』
『黒色、好きですもんね』
『えぇ、大好きよ』
両手を合わせ、フフッと笑いかけられて、その表情が悶絶する程可愛くてその場で押し倒したくなった程だ。
二人でベッドに並んで腰掛けて、この会話を繰り広げているので、倒すのは容易い。しかし、イアンはオリヴィアに嫌われる事だけはしたくはなかった。自分の欲望に正直に動いてしまっては、怖がらせてしまうし、オリヴィアに軽蔑されてしまう……。二度と口を聞いてもらえないかもしれない。それだけは避けたい。
──イアンとオリヴィアは、一度もキスを交わした事もなければ、肉体関係もない、清い夫婦関係を保ってきた。
オリヴィアが帝国で受けた心の傷が癒えず、男女の関係を恐れている。そんな子に対して無理強いはしない。いつまででも耐えられる。例え、一生だとしても。だって、彼女とこうして過ごしている事が何よりも幸福なのだから。
『でも、私が黒い犬を欲しいってどうしで分かったの? 黒色を好きって、どうして知っているの?』
首を傾げたオリヴィアに『黒い扇子や、黒い櫛、黒いハンカチ―フ、黒を揃えてるのを見れば、黒が好きって分かるよ』とイアンは答えた。
『そうよね』
『そうだよ』
(本当は君から聞いたんだ、オリヴィア)
あの時の記憶は忘れてしまっているようだけど、俺はずっと覚えていた。
ネロペイン帝国で辛い記憶で塗り潰されてしまったのだろう。
イアンはオリヴィアへ贈る犬の性別をどうしようか、犬を贈ったら俺と話をしてくれなくなってしまうのでは、とグルグル考える。
そのせいで、オリヴィアが思い悩むような表情で膝の上に置いたイアンの握り締めた拳を見つめている事に、イアンは何も気付かなった──……。
オリヴィアが犬を欲しいと発言してから、一カ月が経った。
イアン、三十歳。オリヴィア、十九歳で年齢差十一歳の二人はあと三日で結婚記念日を迎える。
結婚記念日が近付くと、イアンの頭の中は更にオリヴィアの事しかなかった。何故なら、記念日の準備に忙しいからである。彼女を想いながらの忙しさとは、なんて幸福な事なんだろう──……。
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