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「あと二日で結婚記念日……あと二回寝たら記念日……あと二回しかないのね……」
イアンを見送ってから、いまだにイアンを「旦那様」呼びをしない事をターニャから叱られているアンを横目で見ながらオリヴィアは自分の部屋へ戻った。白とベージュをモチーフにした部屋は柔らかく上品な部屋で、部屋の中央に天蓋付きのベッドがある。
そのベッドの前をぐるぐる回った。オリヴィアは顎を触りながら、ひたすら、あっち行き、こっち行き、あっち行き、こっち行き……。このままでは目が回ってしまわないか心配である。
オリヴィアには結婚記念日当日にある計画があった。
その計画を実行する為にはある『モノ』が必要だった。
『モノ』というのは『黒い犬』と『花冠』と『リンゴ』だ。何故この三つが必要なのか……それは十三年前に遡る。
背が高い雑草だらけの庭。
それでもオリヴィアの母が生きていた頃は、雑草が生い茂った一画に真っ白なジャスミンの花が植えてあった。その花は母が大好きで、それでオリヴィアも大好きな花になった。
それも母が亡くなってからはジャスミンを手入れする人間が居なくなり、ジャスミンが咲いていた場所はあっという間に雑草に栄養を取られ、残り少ない本数となってしまった。
今にも倒れそうな掘立小屋、充分ではない食料、欠けた食器、アンが子供の時に着ていたお下がりの服。必要最低限の物でさえ与えられていない中、オリヴィアはアンから「皇女様」と呼ばれ母は「サラ女皇」と呼ばれていた。この狭い荒れた庭と古ぼけた家がオリヴィアの全世界だった。母が亡くなってから暫くはこの世界は誰もが体験していると思っていた。
まだ、オリヴィアが全てを信じ切っていた頃。
アンの『お母様はお月様へ行きました』という言葉を信じていた六歳の頃──その庭で、月夜の晩に出会った。真っ黒な髪、金色の瞳、真っ黒な服を来た男性に。
その頃のオリヴィアは、いつも考えていた。
どうしてお母様は私を置いて月へ行ったのか、どうしてワンちゃんまで居なくなったのか。窓から見える月を見上げては、お母様が現れてくれるのではないか、とずっと待ち続けた。待ち続けても姿を見せてくれず、アンから寝るように促される。泣きながらベッドに横たわって、瞼を閉じる……お母様に抱き締められ、ふわふわなワンちゃんを抱き締める夢を見る──……。目を覚ませば、いつも私を抱き締めて一緒に眠ってくれたお母様は居ない。目を覚ましても、誰も居ない──……。アンは隣では寝てくれない。
「その場所は、サラ女皇の場所ですから、わたくしが奪う訳にはいきません」
へんなところで真面目なアン──……。
でも、アンは私に優しい。ある日落ち込んでいたオリヴィアにドレスを着せてくれた。
「お下がりで申し訳ございません。でもお似合いです」
「まるで天使が舞い降りてきたかのようです」と感嘆し真顔で言う。でも、アンは嘘を吐かないから、オリヴィアはその言葉にとても喜んで、はしゃいだ。
「きょう、ぱーてぃがあるんでしょう? わたしもおどりたい」
「誰から聞いたんですか?」
「おそとでだれかはなしているのきいたわ」
「そいつらに何かされたりしてませんか?」
「なにかってなぁに?」
首を傾げて見せたら「まぁ良いでしょう」とアンは咳き払いをした。
「ダンスパーティは行ってはなりません」
「どうして? おかあさまはわたしが、ラストダンスをおどっているすがたをみたい、っていってたもん、だからおどりたい」
お月様へ行ったお母様に見せてあげたい──。アンが可愛いって褒めてくれたこの姿で、踊ったら月から降りてきてくれるかもしれない。
そう思ってアンを見上げると、彼女は眉を寄せた。こういう時は大抵、
「駄目です」
即答だ。そんなアンを見て肩を落と落胆して見せる。眉尻を下げ胸の前で両手を結んで「おねがい!」と叫ぶも同じ言葉を投げられた。
「オリヴィア皇女様はダンスを異性と踊った事はございませんから、ラストダンスでもそれはファーストダンスとなります。我が帝国ではファーストダンスは恋人か婚約者と踊るのが習わしです。知りもしない男と踊ってはなりません」
「しりもしないひとと、おどらなきゃいいの?」
「知り合った男がおいでですか? どこの誰ですか?」
アンは私と同じ目線の高さまで腰を落とし、両肩を掴んだ。
「アンのおとうさまとおにいさまはしっているわ」
「他は?」
「あったことない」
「そうですか……なら良いです」
安堵した口調にオリヴィアは良い事を思い付いた。
「アンのおとうさま、おにいさまと、おどるのはダメなの? しっているヒトだよ」
『知りもしない男』が駄目なら、『知っている人』なら良い筈だ。でも、アンは眉を寄せた。
「わたくしの家族は誰一人今日の舞踏会には行きません。招待状も貰っておりませんし」
「邪魔だと思っていらっしゃいますからね」と吐き捨てた言葉の意味が分からずアンを真っ直ぐに見つめると、いつもの真顔のアンに戻った。
「先程の続きですが、ダンスパーティは行ってはなりません」
「どうして?」
「オリヴィア皇女様の愛らしい姿を見て、変態共が悪さをするからです。誘拐されると困ります」
「ワルさ……? ワルさってナニされるの?」
アンは咳払いをして「いずれお教えします」と言った。
「おかあさまに、ドレスをみせたいの」
「オリヴィア皇女様……サラ女皇はいつも見てらっしゃいますよ」
(うそよ。ほんとうにみているなら、わたしにあいにきてくれるはずだもん)
口には出さなかった。いつも真顔のアンが、とても、とても、泣き出しそうな表情をしたから──……。
言葉に出さなかった分、ドレスの裾をギュッと握り締めた。そんなオリヴィアの髪をアンはゆっくりと撫でつける。
オリヴィアが笑顔になると、アンも笑った。
彼女がオリヴィアの騎士になったのも、オリヴィアが三歳の時に見せた笑顔が「天使過ぎた」かららしい。アンは嘘を吐かないから、これは真実だ、とオリヴィアは信じている。その通りなのだ。
アンはオリヴィアがやる事を厳しく「駄目です」とばかり言って、上下関係をはっきりさせようとするが、オリヴィアが笑うと白い歯を見せて笑ってくれて、危険から守ってくれる騎士である。
「パーティ、いかないから、ずっとこのドレスきてていい?」
「勿論です」
ホッと胸を撫で下ろしたアンは、まさか、その「ずっと」が就寝時間中も、とは思わなかっただろう。
「これをきてねる!」と騒いでアンから反対されたものの、結局はオリヴィアの「おねがい」を聞いた。アンはオリヴィアが怪我をする事は絶対に反対はするが、危険がないと判断したものは、大抵何でも許すのだ。
まさか、自分が寝た頃にパーティ会場へ行くつもりだったが為に着替えなかった、とは思わなかっただろうが。
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