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アンに内緒で出掛けたダンスパーティ会場へ遠くから聞こえる音楽を辿って足を進めるも、普段から歩きなれていないせいで、すぐに疲れてしまう。遠くまで歩いたつもりだったのに、後ろを振り返ったら家が見える距離にあって、たいして歩いていない事を知った。ダンスパーティへ行くことに心が折れ始めてしまう。
お母様が残してくれたジャスミンの花の中で仰向けに倒れて、月を見上げた。月に向かって右手を上げる。
「おかあさま……」
広げた指の間から月が見えた。あの月が落ちてきて、お母様が目の前に現れたら良いのに。
遠くから聞こえる音楽をBGMにしてオリヴィアはゆっくりと瞼を閉じた。お母様と夢で会うために……。
瞼を閉じて、じっとしていると頬に風を感じた。それに鼻の下が擽ったい。パッ、と目を開けると、月夜の空に放たれた眩い光──太陽が昇ったんだ、って思った。上半身を起こすと、太陽は遠退いて行って、それは自分の勘違いだと知る。
太陽だと思った眩さは、金色の瞳だった。頭から足元まで黒い中に浮かぶ二つの光──ワンちゃんにそっくり。
「俺の頭は大丈夫だ」
と声を聞いた時も、ワンちゃんよりも声は低かったけど、心地良い声だと思った。彼女の知る世界では、アンの父と兄達しか男性は居なかった。彼らに比べて目の前にいるワンちゃんは若干声が高かったように感じる。彼らよりもワンちゃんは若く、目と鼻がはっきりとした顔だった。益々、ワンちゃんに見えてしかたない。無表情と思いきや、口をポカンと開けて間抜けな顔をしたり、私が泣くと耳を垂らして困ったように慰めてくれるところ、ニコッと口を開けて笑う、笑顔が可愛いところ──……そっくり。
リンゴみたいに真っ赤になった顔が、幼く見えて余計に可愛く思えた。私よりも、大きな身体なのに。
(ワンちゃんにそっくりだから、そうおもうのね)
花冠を作って、ワンちゃんへ贈る為に、折角咲いていた最後のジャスミンを全部摘んでしまった。
花冠を頭に飾ると、喜んでくれた。はにかんだ笑顔を見て、本当に可愛く笑うな、って思った。
『好きな花は?』
『好きな食べ物は?』
『嫌いな食べ物は?』
『好きな色は?』
そう訊ねてきた時の声音は、早口なのに、私が答えると口元が綻ぶ。
笑顔が可愛くて、身体も大きくて……どこをとっても、私のワンちゃん。
お月様にいるお母様へダンスを踊って見せてあげたかった、と言ったら
『だったら、ここで踊って見せたらいいさ』
『会場で踊ったら、屋根に隠れてお月様は見えないだろ? だったらここで踊れば、お月様の真下だから見える』
『君と踊って見せてあげたいんだ』
そう言ってくれた時、純粋に嬉しかった。
自分の胸に広がる温かさは、明らかに好きな食べ物を語り合った時のモノとは変わっていた。じんわりと胸に広がるそれは、大好きだったお母様と過ごしていた日々に似ていたけれど、何か違ったように思う。
ゆっくりとした穏やかな口調で、私を見上げる金色は舐めると甘そうで、骨が溶けるような感覚だった。
『私を見つめる眼差しが大好きな母親と似ていたから』
『穏やかな笑みが大好きな母親と似ていたから』
二度と会えないって、見る事は叶わない、って思っていたのに近くにあるから──……。
手を伸ばせば、届く距離に形として、そこに存在する。
『俺と踊って下さいませんか? お姫様』
黒い彼の大きな手に自分の手を重ねた時、私は陽だまりの中に居るような安心感に包まれた。
黒い彼はさっき言葉にしたように、本当に踊るのが苦手でステップを踏めないんだ、って笑っていた。私もステップが踏めずにお互いの足が絡んだり、別の方向へ進んだり……機械のような動きになったけど、二人で顔を見合わせて涙が出ちゃうほど大笑いをした。
あんなに笑ったのは、初めてって思ったくらい──実際、私が帝国で声を出して笑った最後の日になってしまったけれど……。
母親と可愛がっていた仔犬がある日突然姿を消して、毎日寂しい日々を過ごしていた中で、唯一寂しさを忘れられた。
母親が亡くなり、ワンちゃんの姿が消えてから、オリヴィアは自分に姉が三人と同じ歳の妹、義理の母親が四人居る事を知った。それから──生まれて初めて父親と対面する。母親が語っていた父親像と掛け離れていたせいでオリヴィアの父親像は音を立てて崩れていく。そして彼女は、自分が過ごしていた空間は普通じゃなかった事を知った。
──オリヴィアは過去の思い出から浮上した。
あの庭で過ごした綺麗な思い出を思い出していた筈なのに、暗い記憶を思い出してしまいオリヴィアの表情は曇った。
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