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この屋敷の人達は本当に優しくて気さくな人達ばかり。社交が苦手な私にメイド長のターニャは根気良く教えてくれる。フットマンとメイド達は街の噂話を面白おかしく私に教えてくれる、執事のジュレックは屋敷の来客対応の方法を優しく教え、庭師のディーズは花を育てる土の耕し方を教えてくれて、料理長のクロールはティータイムを一緒に過ごしてくれるし、紅茶の美味しい淹れ方を教えてくれた。
優しい世界、誰も私を傷付けない。それを、私は疑ってはいけない、信じなきゃ。
(信じるのよ、オリヴィア)
告白が上手くいかない、なんて考えない。私が想いを伝えたら、イアンは絶対に受け入れてくれる。私の全てに肯定してくれるんだもん。
私が、幼い頃にアンから頑なに許して貰えなかった木登だって、イアンは許してくれたわ。地上で、青褪めてはいたけど……。
(でも、犬はダメ、って言ったわ)
初めて、私に否定の言葉を吐いた!
パンっ!
オリヴィアはもう一度両頬を叩いた。イアンが黒い犬を断った事を──私がイアンに告白をしない理由にしちゃダメ。
(黒い犬がいなくても花冠とリンゴで私がイアンをどれだけ愛しているか。結婚記念日に、かんっぺき、なプレゼンするんだから!)
「オリヴィアは、結婚記念日に何が何でも絶対に言う!」
ギュッと拳を握って、天井高く上げながらオリヴィアは決意表明を叫んだ。
「離婚します、とですか?」
ハッと振り返ると、背後にアンが立っていた。いつからそこに立っていたのか……騎士の頃からの癖なのか足音を立てずに、背後に立つのだ。
「お手伝いしますよ」とアンはさぞかし良い案だと頷いた。
「まずは教会から離婚届を用意しなければいけませんね。今から教会へ向かえばあの男が帰ってくるまでに余裕でオリヴィア様はサイン出来ますよ」
「何を言うの、アン! 離婚はしないわ」
「そろそろあの男が気持ち悪くなってきた頃かと思いまして」
毎日毎日、オリヴィアへ愛の言葉を囁く姿を見て吐き気しか催さない。
『俺は君と毎日過ごせて本当に幸せ者だ』
『君に首ったけだ』
『今日のオリヴィアは昨日のオリヴィアよりも美しいね。毎日美しさを更新している』
『今日も愛らしいね』
『俺の隣に女神がいるかと思った』
『貴女の美しさは宝石が霞んでしまう程の美しさだ』
砂を吐くレベルだ。
(オリヴィア様が愛らしいのは分かり切った事なのに、それをいちいち変な言葉を付け加えなくても良い)
忌々しいイアンの顔を思い浮かべるアンをオリヴィアは「もう」と困り顔で見つめるも、アンは悪びれる様子を見せない。
「……アンも、似たような事を言っているわ」と呟いたが、オリヴィアの耳には届いていない様子だ。
「いつ入ってきたの?」
「ノックはしました。返事がなかったので倒れていないか心配でしたので入った次第です」
「そう……」
十九歳にもなって落ち着きがないように動き回っていた事が急に恥ずかしくなって、背中に流した髪を胸の前に流す。一房手に取って、指で梳きながらオリヴィアは椅子に腰かけた。鏡越しにアンを見る。
騎士服からメイド服に変わっただけで、彼女の役割は何も変わらない。アンはいつだってオリヴィアの傍に居てくれる。
私の傍に居続ける為、アンは自ら辺境伯令嬢という身分と貴族の籍を抜いた。新帝国を新たに築きあげている彼らの娘なのに、アンは家族ではなく私を選んだ。
(私はアンの幸せの妨げになっていないかしら?)
つい、そんな事を考えてしまう。
「ターニャのお話は終わったの?」
「はい。まぁ……頭を叩かれました」
「大丈夫なの?」とオリヴィアは心配して振り向いた。
アンは「何ともありません」と肩を竦め、オリヴィアに近付いて、彼女の後頭部にそっと触れて顔を鏡の方向へ向けた。櫛を手に取ってオリヴィアの長い髪を優しく梳く。それはアンの日課で、オリヴィアはアンに身を任せた。
「どうして叩かれたの?」
「私があー言えばこう言うので、ペシっと」
鏡越しでアンの頭を叩くような手の仕草にオリヴィアはクスっと笑った。
「公爵様を『旦那様』呼びしない事を怒られたんです。そうしたら、いい加減大人になれと言われまして」
アンはイアンとの結婚を賛成しなかった唯一の人間だ。
『オリヴィアが何者からも襲われないようにするには最強の後ろ盾を得た方が、彼女の為にもなるんだよ』
という言葉にアンは何も言えなかった。この言葉をイアン本人が言っていれば刺し違えてでも結婚を止めた。そうしなかったのは、これをアンに進言したのは元将軍のサーレンだからである。
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