幼い頃の記憶

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「本当に好きなら、監禁すれば良かったのよ」  スェミス大国の王妃はそう言って紅茶を一口含んだ。六歳のイアンは『監禁』という単語が分からずに目の前に座る彼女を見る。 「母上。弟に聞かせて良い単語ではありません」  イアンと腹違いで五歳上の兄、ロイドが母親である王妃を戒めた。それを見て、良い言葉ではないのだとイアンは悟った。 「イアンも自分の父親がどれだけ愚かなのか知るべきだわ」 「父上を語るのに、そんな単語を聞かせなくても良いんです」 「この子ったら頭固いのね。そこは陛下に似なくても良いのよ」 「顔だけで十分よ」と王妃は肩を竦めた。  イアンは椅子の背凭れに背中を預けて足をぶらぶらさせなが二人を眺めた。脚の長い椅子に座っているせいで床に足がつかないのだ。行儀が悪いと教育係が居ればイアンを叱責しただろう。王宮の庭園に居るのはイアンと皇太子、皇后に彼女直属の近衛隊の騎士とイアンの護衛騎士二人が三人から距離を取るようにして背後に立っているだけだった。口煩い家庭教師がおらず、イアンはいつも以上にのびのびしていた。  ──イアンの母親は庶民の出で美しい女だったという。現国王が少年と言える年齢で皇太子時代にお忍びで市井に出かけた時に彼女と出会った。パン屋で働く彼女に一目惚れをしてその場でプロポーズをし、見事に玉砕した。それでも彼は諦めなかった。口説いては断られ、また口説いては断られ──折れたのは彼女だったという。それから彼女は宮殿に連れて行かれて自分を口説いていた男の正体を初めて知った。  男は国王となりパン屋の娘を側室に迎えるつもりだったが、妾ならまだしも側室に迎える事を反対されえる。彼女は心無い言葉をかけられ、心神耗弱となり──宮殿から忽然と姿を消した。  その五年後にとある噂が国王の耳に入るのだ。 『陛下と同じ瞳の色をした子供がいる』 『陛下の落胤ではないか』  スェミス大国の王族の血を継ぐ者は必ず『黄金の瞳』を持って産まれる。国王もロイドの瞳も金色(こんじき)だった。  噂を聞きつけた国王は北端にある海が見える小さな町の養護院へ自ら足を運んだ。そこに金色の瞳に黒髪の幼子がいて、愛した女の面影があった。  愛した女は息子(イアン)を小さな町で産み、暫くして感染病で命を落としたという。それを知った国王は人目を憚らずに泣き崩れた。  知らない男が自分を見て泣いている姿をイアンは不思議に眺めていたら男から手を引かれ、あれよこれよと宮殿に連れて行かれる。そうして国王自ら義母となる王妃と兄ロイドを紹介されたのは一年前の話だ。  この宮殿でイアンにとって救いだったのは王妃と兄から温かい歓迎を受けた事だ。ロイドは弟が出来た事を喜び、王の落胤と陰口を叩く家臣達を戒めてくれたし、貴族の子供がイアンに嫌がらせをすれば守ってくれた。王妃はイアンを息子のように可愛がった。王妃は使用人達や貴族達にイアンを「卑しい血」だと貶めないよう自ら禁じた。それにより表立ってイアンを蔑む人間は居ない。  彼女はイアンの母親を嫌う事はせず、無理矢理宮殿に連れて来られた彼女を気にかけいた。友のように接し──姉のように彼女を見守った。 『あの子が私の為に焼いてくれたクロワッサンが大好きだったわ』  懐かしそうな目を浮かべて呟いた王妃の碧い目に嘘はなかった。 「あの人に足りなかったのは、愛する(ひと)を監禁する、という決断力よ」  またもや過激な発言をした母親を戒める兄の会話を聞きながらイアンはずっと考えた。まだ六年しか生きていないイアンには『愛』だの『恋』だの分からない。父親が彼女に恋し愛したが為に、母親を苦しめた、という事実は母親を覚えていないイアンにとって自分に関係がない話のように聞こえてしまう。ただイアンがおもむろに思う事は、『愛』だの『恋』だというものは、大の大人が赤子のように泣きじゃくってしまうほど、人を弱くさせてしまうものなんだ、という認識だった。    赤ちゃんみたいに泣く姿を人前で見せたくはない──だから、恋なんてしなくて良い。  でも──もし、『恋』をしたなら。父上みたいに泣かないで済む方法は、 (カンキン、っていうのをしたら良いのかな)  どういうものか、分からないけど──……。『すきなひと』を監禁したら、きっと泣かないで済むんだ。  世間一般的に間違った考えに辿り着いたイアンだったが、目の前に置かれたケーキのお陰でイアンの頭の隅に追いやられた。フォークを手に取って一口目を口に放り込む。口の中に甘い美味しさが広がって笑顔が浮かぶ。それを隣で見たロイドは自分のケーキ皿をイアンに寄せた。  一つ目のケーキを食べ終えて「ありがとう、兄上」とイアンはロイドに礼を言った。瞳を輝かせているイアンを見てロイドは口元を綻ばせた。
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