結婚記念日 二日前

12/23

69人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ
 そんなイアンともっと仲良くなりたいと思うのは当然の事だし、仲を深めようと経理課の連中全員、イアンを飲みに誘ったが、彼は断ってばかりだった。「オリヴィアの顔を少しでも長く見たい」という理由だ。「婚約者を理由にするなんてもっと上手い断り方はないのか」と怒りを覚えはしたものの、二人の結婚式で、初めてオリヴィアを目にした時「そう思っても仕方ないな」と腑に落ちた。オリヴィアは十五歳という若さで幼さが残っていたものの、白いドレス姿は女神のようなだった。腰まで伸びた長い銀色の髪はアップをせず、そのまま背中に流していた。それは正解だったように思う。彼女が歩く度にシルクをふんだんに使って仕上げられたドレスに映えて、陽の光でそれらが反射して、式場が別世界のように煌めくのだ。横顔は儚げで、優し気な顔立ちは上品というよりも可憐だった。こんな子が居れば、「少しでも長く顔を見たい」と直帰するのは至極当然だとシェルフ含め経理課全員は頷いた。  イアンの愛妻家ぶりは、誰もが知る事実となったが、イアンとオリヴィア夫妻の結婚記念日が近付くにつれて、イアンの機嫌が上昇するシーンは一年目は全員が戸惑い、仕事が手に付かず計算ミスを連発した。なんせ、ニッコニコで仕事をこなし、鼻歌まで口ずさみ、脳内花畑モードに陥るのだ。しかもその鼻歌が軍歌だった為、余計に全員が戦慄した。経理課から鼻歌が漏れ、廊下を通った軍人が興味本位に経理課を覗く。年中無表情能面鉄壁だった男が脳内花畑の現状を初めて目にした時、廊下が阿鼻叫喚と化した。  ──そんなイアンにも四年目に突入すれば、今では経理課の風物詩で、軍本部の人間達は慣れたものである。 『もうすぐ大国創立祭がある!!』    と、イアンの花畑モードを見ては心が弾む程だ。  大国創立祭とは、スェミス大国の創立記念を祝う式典だ。国王が王城のバルコニーへ出て市民の前で、開催を誓言してから王都を中心に開催される祭りは、街中が飾り付けられ、道中に出店が並ぶ。各地から人々が集まって、人で溢れ返り、国全体が祝賀ムードに沸く。スェミス大国創立記念はイアンとオリヴィア結婚記念日の丁度二ヶ月後だ。だから、イアンが結婚記念日で有給を取った日は総務課全員で「祭りは今年誰と行く?」「何を食べる?」と毎年このやりとりが繰り広げられる。  しかも、今年は三百年という節目を迎える為、三日間に渡って開催される。普段なら国王を先頭とした騎士団と音楽隊、百頭以上の馬が参加してパレードが行われるのだが、今年は騎士団だけではなく軍もパレードに参加をする。軍所属の音楽隊と騎士団の音楽隊とタッグを組んで、演奏パレードも行うという話だ。今年の創立祭は大規模で、他国の重鎮も招待している。  そんな楽しい今年だというのに──今年のイアンは様子が違った。 (昨日と態度が違うんだけど?) 『今年は去年と違う四年目になる!』とか仕事中に訊いてもいないのに、僕に言ってきたよね?  昨日と打って変わって、今日は目が死んでいるのだ。  シェルフは心配になって声をかけるも、聞いているのか聞いていないのか、生返事が返ってくる。恐怖を通り越して、イアンの様子が面白いと感じてきた頃にイアンから話しかけられてシェルフはペンを置いた。 「話したそうなのに、話してくれず、何でもない、って言うのは、それってなんでもあるよな?」 「まぁ、含みがある言い方だから、ある……とは思うぞ」  ブツブツ「そうか」と口の中で呟いていたと思うと、両肩を掴まれシェルフはヒッと悲鳴を上げた。イアンの目が血走っていて、正直怖い。 「妻の様子がおかしいのは、悪い事の前兆か?」 「うぇ、あっ」 「俺は取り返しのない事をしたんだな?」 「うっ、ひっ、あっ」 「そうなんだな? 俺はしでかしたんだな?」 「うっ、うぷっ」  一言も返事をしていないのにイアンは一人で完結して青褪めた。  肩を揺らされて、気持ち悪くなって吐き気を催したシェルフは周囲の人間に助けてもらおうと目を左右に動かすも、全員が瞬時に背を向けて「月末だから忙しいな……」とワザとらしく声を上げて書類整理をするのが見える。 「そろそろ肩から手を退かしてくれ」と訴えようとしたが、イアンの悲痛に歪んだ表情を見てシェルフは何も言えずに口を閉ざした。 「俺はどうしたら……」  昨日の花畑イアンを見ているせいで、目の前のイアンがあまりにも可哀想に見えてきて、シェルフはイアンの話を訊く事にした。 「身に覚えは? その、何かしでかした、っていう」 「犬を飼いたがっていたのに、断った」 「は? それだけ?」 「んな訳あるか」と続けたら、イアンに凄まれた。顔面が男前で彫りが深い分、迫力がある。一瞬怯みはしたが、シェルフは怯えずに話を続けた。
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!

69人が本棚に入れています
本棚に追加