結婚記念日 二日前

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「あのな、普通……駄目なものは駄目って断ったとしても、相手を嫌ったりしないぞ」 「俺は、オリヴィアの意見に一度たりともノーを言った事がない」 「そうなの? 一度も?」 「ない」と断言したイアンを見てシェルフは呆れたように長い息を吐いた。イアンはそれを見てムッと口を曲げるもシェルフに指を差され、目を見開いた。 「なんでもかんでも与えてばかりいるのって、それって愛ではなく、ただの餌付けじゃん」 「えづっ」 「黙って聞いてろって。オリヴィアちゃんは年下だし可愛いから年上のお前は嫌われやしないか心配なんだよな? だから貢ぎ物をたくさん贈るんだろ? 記念日でもなんでもないのに、お前は良く花を買っているし、宝石だって買ってるもんな。でもな、イエスマンばかりでいたら、ただの上辺だけの夫婦だぞ」  オリヴィアの名前を他人の男に呼ばれて、イアンはムッとするもシェルフから再度「黙っとけ」と言われてしまう。 「どうせ、言いたい事を言った事はないんだろ?」 「言いたい事は言っている。綺麗、美しい、可愛い……」 「いや、そういう言いたい事じゃなくてな」 「不満がないのに、なにを言うんだ」  イアンはやっとシェルフの肩から手を退かして、腕を組んだ。心底、分からない、という表情を浮かべる。 「じゃあ、質問を変えよう。オリヴィアちゃんから文句を言われた事は?」 「ない」 「犬を飼わない、って言ったお前にオリヴィアちゃんは自分の意見を主張したか?」 「……何も言われなかった。でも、すごく悲しい顔はした」 (夢にも出てくる程の……) 「そんな顔はしたのに、お前に意見をしなかったのって、オリヴィアちゃんはお前に心を開いていないぞ」 「……」  その通りなので、イアンは何も言えず黙ってしまう。  オリヴィアと再会してからすぐの頃はぎこちなかったし、目も合わせてくれなかった。そんな彼女と少しずつ打ち解けていって、そこまで辿り着くのにシェルフの言う通り、貢ぎ物を沢山贈った。それが功を奏した訳ではないが、ちょっとずつ笑いかけてくれるようになって、プロポーズにまで漕ぎ付けた。  結婚式の夜、「一緒のベッドで私の事を抱き締めて眠って欲しい」って言われた時は、俺は死ぬんじゃないだろうか、と思いもしたが、そう言ってくれたという事は俺の事を信用に値すると認めてくれた、という事だ──嬉しかった。  心は開いてくれている筈だ。だが、それが100%かと言われると、断言出来ないのが現状だ。  オリヴィアは俺と喋ってくれる。食事中やベッドの中で、今日訊いた話や今日の出来事、読んだ本の内容──でも、俺との生活をどう思っているかはオリヴィアの口から語られた事は一度だってない。  オリヴィアは自分の心中をオリヴィアの騎士、アンにだけしか語らないからだ。 「俺は本音で伝えている。それじゃ駄目なのか? 言葉にしたくないなら、それを言ってくれるまで待てば良いじゃないか」  アンと同じように打ち解ける事が出来れば、オリヴィアはいずれ俺に何でも話してくれる筈だ。まだ自分がそこまで到達していない事なんぞ分かり切っている。オリヴィアとアンは長く一緒に過ごしていた分の絆がある。それを簡単に越える事は出来ない、と分かっているのだ。  オリヴィアが傍に居てくれるだけで、そして笑ってさえいてくれれば、それで良い。彼女には幸せになって欲しい、幸せにしたい。  あわよくば好きになって欲しい、なんぞ──そんな我儘は言わない。一度たりとも──「愛している」という言葉に返事がなくても構わない。 (ただ、オリヴィアを傷付けたくないだけ、嫌われたくないだけなんだ) 「でもな、お前らがオシドリ夫婦、っていうのは俺分かっているからさ……」  床に落としていた視線を上げると、シェルフはソバカスだらけの頬を掻きながらバツが悪そうな表情をしていた。 「言い過ぎてごめん」と謝罪したシェルフにイアンは首を横に振った。  イアンは陸軍時代の能面顔とは打って変わり、経理課に配属されてから表情を崩した。夫の評判は妻の社交に影響を及ぼす、とジェシカから聞いたイアンは、社交でオリヴィアが孤立する事を恐れ愛想がない自分を変えようと努力した。
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