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「知りたいんだな? 本当に良いんだな?」
「はい──私はオリヴィアの不安を一つでも拭ってあげたいんです」
「そうか──お前にそれだけの覚悟があるんだな」
「分かった」と重く低い声で言葉を発したユング。
そんなユングの言葉を固唾を飲んで待つイアン。
「グゥイン公爵夫人はお前と離婚をしたいと考えているんだ──……」
しん──……。
時計の音しか拾わない。この部屋は防音防壁だ。外の音は普段から遮断をしているがここまで静かなのは初めてだ。まして、この執務室には二人。一人ならだまだしも。
「り、りこ?」
ギギギギギ、とイアンは首を傾けながら、そのまま後ろに倒れソファへ腰を下ろした。
(りこん……って俺の知らない『りこん』だろうか)
イアンは必死になって『りこん』という単語を脳内の辞書を捲った──が『離婚』という文字しか見つからない。
それから──『離縁』という類語。
変わらず首を傾けたままのイアンにユングは止めを刺した。
「普通な……犬を飼わないって言われたくらいで朝から重い雰囲気で訊ねてくるわけないだろ? それはもう『離婚』を切り出そうと思って訊ねたんだよ」
『お帰りはいつになりますか?』
──今日はいつ頃帰るか訊ねて、夕食時にでも言いましょう。
『明日は何時頃に帰りますか?』
──今日言えなかったら、明日。じゃあ何時頃のお帰りになるかしら?
『明日は何時ごろに寝ますか?』
──もしも言えなかったら……流石に結婚記念日前日には言いましょう。寝る前とか。
『記念日の夜は?』
──寝る前にも言えなかったわ。じゃあ記念日の夜、寝る前に言いましょう。
(いつ俺に離婚を言い出そうかと、悩んでいる……?)
『イアン──私と離婚して下さい』
美しい声音で言われるんだ。
残酷過ぎる……!
俺がオリヴィアに何をしたか見当がつかない。
(つかない、っていう事がオリヴィアの心情を常に考えていない、って事なのか? 考えていたつもりでも、俺は一切何も考えていなかったんだな)
この三年間と三百六十三日で、俺はオリヴィアの心の憩いの場所になる事は出来なかったんだ。
(オリヴィアを俺から解放してあげた方がむしろ幸せなのか……?)
彼女の口から「幸せ」と言われた事は一度もない。
(彼女の願いを叶えてあげなかった)
俺が犬を飼ってあげなかったことが原因では?
(あれがオリヴィアに最終決断を与えたんじゃないか?)
本当は用意してあるんだ。あの時、サプライズなんて考えずに、あの場で黒い仔犬を探しに家を出て行ったら。
(違う結末になっていたんじゃないか?)
「過去の自分に戻りたい……」
呻くように呟いて頭を抱えながらソファに倒れたイアンに、ユングは手を伸ばした。
(ここまで動揺するとは)
正直な所、どうしてオリヴィアがイアンに帰宅時間や就寝時間を訊ねたかなんて本人じゃなきゃ分らぬ事だし、本なんて読む必要がないのだ。人に意見を求める事はなく本に答えを探さなくて良い。自己啓発や占いの結果の本は、誰にでも当てはまるような事を提示してあって、自分に当てはまると錯覚してしまう。
単にイアンはオリヴィアに直接訊ねるのが怖くて、他人に意見を求めている。悪い事は一切起きないと他人の口から聞いて安心をしたいのだろう。本人に訊けば一番早いのに何を恐れているのかユングは理解が出来なかった。
イアンとオリヴィアの夫婦仲が良い事は、ターニャの口振からして知っていた。『愛らしい若奥様』と『見ていて飽きない旦那様』とよく褒めていた。後者は褒めているの貶しているのか難しいラインではあるが……。
ユングはイアンを揶揄いたいが為に適当な事を述べただけである。ここまで動揺するとは思いもしなかった。軍へ入隊した頃は社交辞令でも笑う事もしなかった男が、自分の目の前で鼻をすすっていた。
(もしや……泣いてるのか……?)
若干引きながら、イアンにネタバレをしようと伸ばした手はイアンが突然身を起こした為、イアンに触れる寸前で止まった。
イアンの眦から水滴が零れ落ちそうになっていて、ユングはポカンと口を開けた──あのイアンが泣いている!
イアンの肩に触れる筈だった手は中途半端に宙に浮いた。所在を失くしてしまったユングの右手は暫くは宙を彷徨ってから、膝の上に置かれた。
そんなイアンと言えば涙を袖で拭いながら立ち上がり、絨毯の上をグルグルと歩き出した。ユングはその様子を口を開けたまま目で追っていたら、イアンが突然叫び出した。
「こんなに身体がでかい男はオリヴィアが安らげる場所にはなれなかったんだ!
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