結婚記念日 二日前

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 フト、オリヴィアは自分の背後に立つアンが静かで気になった。いつもなら男性と私が喋っていたら間に入って会話さえさせないのに。 「申し訳ございません、オリヴィア様」と背後のアンから小声で話しかけられる。 「私、この方苦手なんです……人を殺した事がないような顔をしているくせして、核心ついてくるので……」 (アンに苦手な人居るの?)    アンの様子に戸惑っていたら、   「私は元の身分が低いので呼び捨てでも構わないです」 「そんなのぜったいダメです! なんてお呼びしましょう」  背後のアンが一言も発さない。助け舟を出してくれない。  こういう時はなんてお呼びしたら良いのか分からない。だって、ちゃんと淑女教育を私は受けていないから。  アワアワしていたら、喉を鳴らす音が聞こえて目の前に立つサーレンをオリヴィアは見た。 (もしかして、からかわれた……?)  彼は口元に拳を当てて笑いを堪えていた。琥珀色の瞳に涙を潤ませてまで笑おうとするなんて── 「ひ、ひどいわ!」  つい顔を真っ赤にして叫ぶと、「すまない、レディ」とサーレンは眉を下げた。 「揶揄うつもりはなかったんです」  本当に申し訳なさそうだったからオリヴィアは「怒っていません」と小声で呟いた。   「辺境伯の称号を与えられましたよね? でしたら、サーレン辺境伯とお呼びするべきですよね」 「私は()()のサーレンなので、サーレンで本当に構わないんです」  サーレンの目がオリヴィアは悲し気に俯いた気がしたものの、すぐに柔和な目元に戻って「勘違い」と片付けた。サーレンも自分と同じように睫毛が銀色で、しかも長くて俯くだけで影が出来るのだ。そのせいで儚げに見えた。 (銀色ではなくて、白色よね。髪色は白だもん)  若い頃は髪の色って何色だったのかしら? フト気になった。 (若い頃に苦労されて、髪色が変わったって聞いたわ……睫毛の色まで変わってしまうくらい苦労されたのね)   「呼び捨てなんて出来ないわ」 「──では、"様"をつけて下さい。サーレン様と呼んで頂けたら」 「サーレン様?」と呼ぶと「そうです。よくできました、レディ」と満面の笑みで褒められて思わず照れてしまう。  サーレンは来週にはカイロ領へ旅立つという。  彼の友人達が「寂しくなる」と言って色々連れ回しているらしい。今日は観劇に連れて来られた、と苦笑した。 「来週ですか? わたしたちの結婚式へは参列されないんですか?」 「そうなるね。カイロ領の状態をこの目で早く見たいし、早めに取り掛かりたいんだよ。新しい将軍とは引継はもう終えたからね」  当初はイアンが将軍になり、サーレンは将軍の座を退いてカイロ領の新領主となるという手筈だった。しかしイアンは将軍ではなく国軍事務官に就いた。それでサーレンは将軍続行だったのだが、サーレンはそれを選ばなかった。 『平和な世に、私みたいな老いぼれがいても意味はない。これからは若い人間が導いていかないと』  辺境伯の称号を与えられ、カイロ領へ赴く──。  オリヴィアは自分と同じ瞳をもう見れないのか、と寂しく思ってしまう。 「私と同じ瞳の色をもう見られなくなるなんて、寂しい」  素直にそう告げていた。  サーレンの目が見開いて、それから緩やかに細くなる。その優しげな雰囲気に「やっぱり元軍人には見えない」とオリヴィアは思った。 「レディ、そう言っていただけて嬉しいです」 「カイロ領に行かれても、たまには戻ってこられるでしょう?」 「戻りませんよ」 「どうして?」  オリヴィアは思わず前のめりになって、強めに問い質してしまって、上目使いでサーレンを見上げた。  そうやって見上げてくる姿は庇護欲がそそられる。そんなオリヴィアにサーレンはただ優しげに微笑んだ。 「カイロを立て直すには忙しく動き回るでしょうから。それに、私は身寄りがありませんからね」 「お友達だっているし、イアンも寂しがるわ」と言おうと口を開いたら演劇がもうすぐ始まる事を知らせるベルが鳴って邪魔をした。この時にやっと、アンから「行きましょう」とオリヴィアは話しかけられた。  まだ言いたい事があるオリヴィアだったが、サーレンから「それではレディ」と話を切り上げられてしまう。  オリヴィアは諦めて、サーレンにお辞儀をしてから彼の元を通り過ぎた。すると、サーレンから声をかけられてオリヴィアは後ろを振り返った。    「イアンと一緒に植えている花は育ちましたか?」 「花?」 「あの場所は水も豊富ですし、あの広さにきっと綺麗な花が咲くでしょうね」  
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