69人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ
一緒に植えている花なんてない。何の事を言っているのか訊き返そうとしたら「さよならレディ」と話を打ち切られてしまい、サーレンは来賓席に向かった。
そうしてオリヴィアとアンは観客席に赴き並んで座る。隣のアンから「先程はすみません」と会話に助け船を出さなかった事をオリヴィアに謝罪していたものの、オリヴィアはアンの謝罪を聞いていなかった。
サーレンが言った「イアンと一緒に植えている花」なんて、存在しない。──サーレン様は何か勘違いをされているのかも。
(でも──)
「水も豊富」「あの広さ」っていう単語が妙に引っ掛かる。
ブーっと演劇が開始される音が鳴り、広い噴水の周囲にあった土だけの花壇が、オリヴィアの脳裏を過った。
次の日、オリヴィアはアンからの追跡を撒いて、結婚後に住む屋敷へ訪れた。
あの噴水の近くの花壇で汗で濡れた背中を見つけた。長袖を肘より上まで捲し上げてスコップを片手に土を耕している様子だった。
イアンの名前を呼ぶと、驚いた顔をして振り返った。どうしてオリヴィアがここに居るのか分からないらしい。戸惑いながら慌てた様子でオリヴィアの元まで駆け寄ったイアンを見上げた。
「サーレン様から聞きました」
「サーレン将軍から? どうして──……」
「昨日、アンと観劇に行ったらいらっしゃったんです。その時、イアンと一緒に植えている花は育ったかって訊ねられて」
「サーレン辺境伯がそんな事を?」
オリヴィアはコクリと頷いて「身に覚えがないから、気になって来たんです」
「そうなんだね」
イアンはオリヴィアの背後を見やった。いつもオリヴィアの背後に影のように立つアンの姿が見えない事が気になった。
「アンは撒きました」
「撒いた……!? 撒く事自体は悪くないけど、でも一人で出歩く事はいくら昼間でも危ないよ……襲われでもしたら」
「慣れているから大丈夫」
昏い目で自嘲気味に言い捨てたオリヴィアを見てイアンは彼女の名を呼んだ。
何を言われるのか──「何が慣れているのか」と訊ねられるのが自分で言っておいてオリヴィアは怖くなる。イアンが何を発するのかが怖くて彼女はイアンが何をしていたのか訊ねる事にした。これが目的で、未来の住まいへ私は足を運んだのだから。
「何をなさっているんですか?」
「えっ、あっあぁ……」
何も訊いて欲しくない、という事を悟ったイアンは視線を彷徨わせてから、気まずそうに頬を掻いた。
「オリヴィアはジャスミンが好きだから、ジャスミンの花は俺が植えたかったんだ」
ツイっと右に移動したイアンの視線を辿ると、花が咲いていない苗が大量に並んでいた。
「あれは全部ジャスミン?」
「そうだよ。今から植えたら俺達の結婚式までには全部咲いていると思って。ここへ二人で住む頃には色とりどりなジャスミンが咲いているはずだ」
(あれを一人で植えようとしていたの? どうして?)
「オリヴィアが大好きだからだよ」
オリヴィアの問いは心の中で言ったつもりなのに声に出ていたみたいだった。
(どうして、イアンは私なんか好きになったのかしら……)
取り柄なんてないのに。
帝国で穀潰しと罵られた日々を過ごしていたのに。
私を帝国の兵士から助け出した時、私を見て一目惚れしたんですって……。
(髪の色と、夕焼けのような瞳が好きって)
目が腐っているんじゃないかしら……?
オリヴィアは母親が褒めてくれた髪と瞳の色を幼少時は大好きだった。──大好きだったのに、罵倒され、髪をぐちゃぐちゃにされ、自尊心を傷つけられた。そのせいで、銀色の髪を見るのが嫌いになって鏡を覗く事さえも憂鬱だった。
自分ではそう思っているのに、そう告白したイアンの表情は慈しみに溢れていて、オリヴィアは昔のワンちゃんを思い出す。あの頃から変わっていない微笑みを見て、オリヴィアの心臓は痛いくらい締め付けられた。
「本当は内緒にしたかったんだけど、バレちゃったね」
頬を赤く染めたイアンを見ると、頬が汚れている事にオリヴィアは気が付いた。
その汚れをじっと見つめていると、その視線にイオンは気が付いたようだ。
「さっき触った時に汚れたかな」
軍手をはめた右手で頬を擦ったものの、余計に広がっただけだった。
「私が拭いてあげる」
「拭いてくれるの……? あ、ありがとう」
「しゃがんで」と言うとイアンはゆっくりと腰を下ろす。同じ目線の高さになって彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。金色の瞳は蜂蜜が溶けたような色で美味しそうに見える。
いつも上げている前髪を下ろしていたイアンの前髪は汗のせいで額にくっついていたから、邪魔だろうな、と思ってオリヴィアは人差し指でイアンの前髪を横に流してあげると金色の瞳がすごく驚いて見えた。
ハンカチでイアンの汚れた頬を拭いてあげる。
最初のコメントを投稿しよう!