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オリヴィアに離婚をしたい理由を訊ねると決めたものの、今すぐという訳ではなかった。
イアンがベッドに硬直したまま座っていると扉がゆっくりと開いてオリヴィアが顔を出した。
「イアン。入るわね」
オリヴィアはワゴンを押して部屋に入ってきた。
ワゴンを押すオリヴィアの表情がどことなく暗い。イアンはそんなオリヴィアを見て、具合が悪いのではないかと心配した。オリヴィアの果実のように瑞々しい唇が、震えていて琥珀色の双眸がどこか不安げだ。
「オリヴィア、顔色が悪い。どこか具合が悪いんじゃ……」
「イアンを怒らせちゃったから、そのお詫びを持ってきたの」
「怒らせた? お詫び?」
なんのことだ、とキョトンとするとベッドの間の前にワゴンが運ばれ、その上にはティセットが二人分、そしてイアンの好物であるショートケーキが一人分用意されていた。
「これは?」
「だからお詫び。イアンの具合が悪いって事、気が付かなかったから」
オリヴィアは怒られた子供のように直立のまま俯いた。
自分が吐いた嘘のせいでここまでさせてしまうなんて……と数時間前の自分をイアンは呪う。自分自身に余裕がなくて、オリヴィアに気を回す事が出来ていなかった。
「それに、私がイアンじゃなくて、プリンの事を心配したって思って怒ったんでしょう?」
「オリヴィア、俺は怒ってないよ」
ベッドから立ち上がって、オリヴィアへ近寄ると、オリヴィアの目は赤くなっていた。目の下には擦ったような跡があって、泣いた事は一目瞭然だ。
「オリヴィア、ごめん。君を泣かせるつもりはなかったんだ。俺が大人げなかった」
俯いたオリヴィアを覗き込むと、キュウッと唇を締めるのは泣くのを我慢しているように見えた。目を見れば、ウルウルと潤んで今にも泣き出してしまいそうだ。すると。ポロっと涙が一粒溢れて彼女の顔を覗いているイアンの頬を濡らした。
「オリヴィア、本当にすまなかった」
涙を拭ってあげようとオリヴィアの眦に親指の腹を近付けたら、手で払い退けられてしまう。
声を出さないように我慢しているんだろう、下唇を噛み締めて、肩を震わせたオリヴィアの肩にイアンはそっと触れ、そのままベッドの縁へ誘導した。オリヴィアをベッドサイドに座らせて、イアンもその隣に腰を下ろした。
しゃくりあげるオリヴィアを落ち着かせる為に、イアンは彼女の背中にそっと手を置いた。今度は拒否をされる事はなかった。
その事に安堵して、イアンはオリヴィアが落ち着くように背中をトン、トン、とリズムをつけて優しく叩いく。呼吸が少しずつ落ち着いてきて、オリヴィアの背中から、そっと自分の手を離した。
(これじゃあ、離婚されても文句が言えないな……)
オリヴィアを慰めながら、イアンは内心項垂れた。
『ねぇ、イアン。結婚記念日の朝に目が覚めてすぐに貴方に言いたい事があるの』
その言葉に、過剰に反応してしまい冷たい態度を取ってしまった。彼女は俺が体調悪いと思って、熱を測ろうと額に手を当て心配してくれたのに。
(あんなの、冷静になって今思えばラッキーな貴重体験だった……)
風邪ひとつした事がないイアンは身体の心配をされた事が一度もなかった。それを生まれて初めて、自分が愛している女性からされたというのに、喜びを噛み締める事が出来なかった。
オリヴィアの横顔を見ていると、徐に横目でチラッと見られ、イアンは目を細めた。
「怒ってない?」
「怒っているように見えてごめん、オリヴィア。俺は怒っていないよ」
「じゃあ、今晩も一緒のベッドで寝てくれる……?」
首を傾けながら上目遣いで言ってきたオリヴィアにイアンは「もちろんだよ」と答えた。
「別々に寝よう、なんて言ってごめん」
「怒っても良いから、そんな事二度と言わないでね?」
「一人で眠るのは寂しいの」という言葉にイアンは「あぁ」と頷いた。
アンはオリヴィアの騎士であろうとして、一緒のベッドで眠る事は絶対にしない。寝顔を見守る事はするけれど一定の距離を保つ。アンはオリヴィアの影であろうとするのだ。その分、俺はオリヴィアの夫だから一緒のベッドで寝ても許される。その行為は最初は我慢比べのようなものだったが、イアンの理性は鋼のように強いお陰でここまで耐える事が出来た。
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