幼い頃の記憶

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 使用人の話を耳にした事がある。義母(母上)は国王の幼馴染で、友人同士だった。国内有数の侯爵家だった事もあり婚約者に選ばれた。そんな義母に父は、 『片想いをしている人がいる。その人を愛しているんだ』 『貴女を王妃として幸せにするけど──俺の気持ちは彼女にしかない』  と告げたという。  婚約者の心に別の女性が居ると知った時、どんな気持ちだったんだろう。  ──使用人達は王妃の心を思うと辛い、と涙した。辛いだろうから、僕の存在が許せない、とも言っていた。 (僕が騎士の誓いをしたいと思っている相手は義母(母上)も含まれてる)  僕は兄上へ誓いを立てるって言ったけど、兄上を守るという事はこの国を守るという事で、それには勿論母上も含まれる。父の顔は出てこない。僕を生み、この世にいない生みの親よりも僕は母上(義母)の幸せを願う。    テーブルに置いていた手を突然握られて、イアンは肩を上下させた。 「騎士の誓い、は今では寂れた風習よ。だからこそ、騎士の誓いをこの時代にする場合、本気度が違うわ」  ──母上が真っ直ぐに自分を見つめている。イアンはコクリと力強く頷いた。 「僕は本気なので」 「えぇ、そうね。本気でしょうね。イアンの目を見れば分かるわ」 「でもね」と王妃は続けた。 「実力が伴っていなければ、するべきではないわ。嘘になってしまう。簡単に破れてしまう約束はしては駄目」 (僕はまだ弱い)  貴族の子供に身体を押されて簡単によろけて尻餅をついてしまうような僕だ。  己の弱さに辛くなってイアンは目を伏せる。隣のロイドが心配そうにしてイアンの背中を優しく摩った。  イアンは視線だけをロイドに向けると目が合った。その瞬間、ロイドの微笑みを見て、本気で彼の為に強くなろう、と思った。  暫くそうして顔を見つめ合っていると、握られている指に力が入ってイアンは顔を上げた。チラッと視線を横にすると兄上も同じように王妃から手を握られていた。 「二人とも――私と約束をして欲しいの。これから先、本当に愛する人ができたなら、愛し守り抜くの。手放しては駄目。後悔しない愛し方をなさい。その為に強くなりなさい。身体を鍛えるだけでは駄目、精神を鍛えるの。逆境に強くなりなさい。死ぬ気で愛しなさい、死ぬ気で守りなさい」  握られた手に痛みはあったものの「痛い」とは言えず我慢する為にイアンは下唇を噛んだ。痛いよ、と言えるような空気ではなかった。王妃の碧い瞳からは先程まであった寂しさは消え去っていて底が見えない海のようだ。背筋に小刻みの波のような寒さが襲う。王妃が今から発する言葉に否定の言葉を発すれば殺されてしまうのではないか、というような雰囲気――実際、そうだった。 「その愛が生半可な気持ちなくせに愛を誓ったの。愛する度胸も守り抜く自信がないくせに。国の為を思い一緒になるべきではないと御託を並べ、身を引いた、ですって。そんなの(わたくし)から言わせれば逃げたのよ。本当に愛しているなら全てを敵に回して相手に戦争をけしかけたはずだわ。国の為、貴女の為、ですって? ふざけないで。あの子の気持ちを踏み躙り、傷つけた。あの子が欲しかった言葉を()()()は間違えた。選択を間違えたから、(わたくし)の大事な()()はここに居ないのよ」  イアンは自分の母親の事を言っているのかと思ったが、自分の母親は庶民だ。庶民が相手で国同士の戦争になるもんか。それにパン屋の娘が『半身』になれるわけがない。  王妃の瞳がどこか遠くを見ている。二人を瞳に映してはいなかった。 「この国の男は愛する女を簡単に手放してしまう。本当に頼りない男ばかりだわ」  周りの騎士達の表情も何か含んだような、表情だった。誰も声を発さず、ただ王妃を見守っているだけだ。  イアンは、王妃の瞳の先が気になり肩越しに振り向いた。  王妃の視線の先は、居館の二階の窓であり、誰かが廊下を歩いているようだった。誰だろう、と気になるも太陽の光が反射して、イアンは思わず目を瞑る。痛む目を慰めるように鼻筋を右手で揉みながら、ゆっくり目を開けたものの、そこにはもう誰も居なかった。  肩を落とし、正面を見てイアンは息を呑んだ──義母の顔からは表情がごっそりと抜け落ちていた。
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