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「嬉しそうに、早く言いたいとか言うから、そんなに俺と離婚したいんだ、と思って」
「………………」
「同じ空間に居るのが辛過ぎて食堂を出た」
「それで、イアンは私に離婚しようって言ったの?」
「いや……オリヴィアが俺の為に紅茶とケーキを運んできてくれた時は嬉しかったし、離婚の事は頭になかったけど……オリヴィアはグゥイン公爵家を『イアンのお家』って言っていたのに、自分のうちだと思ってくれた事がとても嬉しくなって」
「嬉しかった?」
「あぁ……オリヴィアに安心できる場所を提供できたから」
柔らかい笑みを浮かべただろうイアンをオリヴィアは見上げた。イアンは天井を見上げているせいで喉仏と顎しか見えないが。口調が柔らかくなったから、きっと微笑んでいる筈だ。
「でも……嬉しかったのに離婚を言い出したの? どうして?」
「オリヴィアは使用人達が大好きだし、感謝もしてくれているから──そこに俺は必要だろうか、と思ったんだ」
イアンの身体がフッと軽くなる。オリヴィアの熱が遠退いて行く。
ホッと安心もしたし、残念だとも思ったが──そう思うや否や喉元にバシッと何かが飛んできてイアンは条件反射で目を見開いた。目の前に枕を振り上げるオリヴィアが居た。
「私は言っていないのに、勝手に判断しないで!」
バシッと何度も枕で頭を殴られる。一度も利用した事がない枕は新品そのもので、人に使われていないからか、枕は硬い。
それでも普通の人間なら痛むものの、オリヴィアの力は弱いからか全く痛みを感じなかった。むしろ、オリヴィアの悲痛な表情の方が痛みを伴っていそうだ。
「私は、結婚記念日に言いたかったのはそんな離婚の話じゃないわ! イアンが勝手に勘違いをしたの!」
「ごめん、オリヴィア……俺が悪かったよ。本当にごめん」
イアンはベッドに上がって、正座をするとオリヴィアに向かって頭を深々と下げた。俺が早とちりなんてせず、シェルフの言う通り、話し合えば拗れる事はなかったんだ。
バシッ、バシッと後頭部を殴られる。イアンはそれを黙って受け続けた。
「結婚記念日の完璧なプレゼンの為に、私は何時に帰るか知りたかっただけなの! 勝手に勘違いしないで!」
パシッ、パシッ。
殴られる力が段々と弱まっていき、ボトっという床に何か落ちた音がイアンの耳に届く。それから、オリヴィアの悲痛な声も一緒に届いた。
「思ってもいない事を言われたら、私、悲しいわ……」
顔を上げると、項垂れたオリヴィアが立ち尽くしていた。それからヨロヨロとベッドの縁に座った。
イアンは床に落ちた枕を手に取って、枕を抱き締めながらオリヴィアの隣に座る。
「オリヴィア……本当にごめん」
枕を持って暴れたせいで髪が乱れ、横髪が頬に纏わりついてしまっている。それを払い除けて綺麗に梳いてあげたいと思ったものの、触れれば枕の下の分身がまた大きさを増す気がして、イアンはただその横顔を申し訳なく思いながら見つめる事しか出来なかった。
「オリヴィア。聞いていいか? 俺に話したい事って結局なんなんだ……?」
イアンは恐る恐る、オリヴィアに訊ねた。
離婚ではないならば何をオリヴィアは俺に伝えたいんだろうか。純粋な疑問だった。
「それは、今言うことじゃないわ」
ぶっきら棒に返ってくる。
「記念日の朝に言うと……?」
「えぇそうよ」
「すまない、オリヴィア……何を言うか教えてくれないと、俺は正直な話不安で眠れそうもないんだ」
離婚の話ではない。
でも、その話が良い事とは限らない。
イアンは、大抵の事に神経は図太いがオリヴィアに関してだけはメンタルがマシュマロのように柔らかくヘコみやすくなるのだ。
「全部は言わなくて良い。ヒントだけでも良いから」
「い、イアンと同じことを言うつもりなの……」
蚊が鳴くような声は、か細くて聞こえにくい。
床をじっと見て動かないオリヴィアの横顔を見つめながら彼女の言葉を待った。
「イアンがいつも言ってくれるでしょ? その言葉を私もイアンに言いたくて……」
「いつも、とは……?」
チラチラと横目でイアンを見ると、彼はキョトンとしていて分かっていない様子だった。
「朝と夜、欠かさず言ってくれるでしょ?」
「あぁ!」閃いた! とイアンの表情が明るくなって、オリヴィアはつい頬を染めてしまった。
イアンの意表を突く計画だったのに、イアンが勝手に勘違いをしたせいで、ヒントを与えなければならなくなってしまった。しかしイアンを不安にさせたままではいけない、と思って腹を括ったのである。
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