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名前を呼ばれイアンを見ると、彼はオリヴィアを真っ直ぐに見つめていた。さっきまでの間抜けだった表情とは一転して真摯だ。
「俺への言葉を、今言って貰う事は出来ないのか?」
「ダメ!」
顔の前で大きなバツを作る。その交差した腕から残念そうに項垂れる黒髪の男が居た。
イアンは下半身の熱はまず置いといて──オリヴィアの口から「愛してる」という言葉を聞き出したい、という思いに駆られた。そうして訊ねてみると、顏前でバツを作られてしまう。そんな仕草は子供っぽいのだが、愛しくて堪らない。
「はっきりと言葉で言ってくれないと俺は鈍感だから分からない」
「その言葉は結婚記念日の朝に言うって決めているの。今は言わないわ」
「今も言って、明日も言って、結婚記念日の朝にも言って欲しい」
「ダメよ。感動が半減しちゃうでしょ」
「しない」
オリヴィアが作ったバツから覗き込むイアンは「頼むよ」と哀願した。
「お願いだ。俺は、オリヴィアからその言葉を今聞きたいんだ」
ゆっくり、優しく囁くよう言う。
「ヴィー……」
「愛称で呼ぶなんてズルいわ、イアン」
目尻を下げ、切なそうな声をして愛称で呼ばれて、オリヴィアは憎らしげにイアンを見る。愛おしそうに見つめる目と合って、瞳に吸い込まれそうな感覚に陥った。彼女は思わずこの場で愛を伝えようと息を吸い込むが──喉をキュッと締めた。
オリヴィアはそんなイアンを見つめながら、両腕を下ろす。
「あのね、イアン」
オリヴィアは瞳を揺らして、そっと目を伏せる。
「わたし、イアンに想いを告げる日は夫婦になった日って決めているの。道具だって用意しているんだから、その計画をいくらイアンだからって邪魔をするのは、許さないわ」
チラッと見上げてきたその瞳は本気だ。
その道具がなんなのか、イアンは気になって訊ねてみたが物は教えてくれなかったものの、よっぽど自分への告白に重要な物だと言われてイアンは無理に訊くのは止めた。オリヴィアの真剣な姿を見れば、本当に結婚記念日の早朝に、伝えてくれる、という本気度が伝わってくる。
「イアンへの気持ちを知らせる為に完璧なプレゼンをするの」
「前から計画を立てていたんだから」と言われれば、その計画を壊す訳にはいかない。
「楽しみにしててね」と耳元で囁かれて早く当日が来たら良いのに、とイアンは思った。
オリヴィアはイアンの膝と彼女の膝が触れる距離まで詰めてきた。心臓が痛いくらい高鳴ったイアンだったが、オリヴィアが顏前でバツを作ったお陰で枕がイアンの元に帰ってきた。お陰で下半身のテントを枕で隠す事が出来ている為、表情は穏やかだ。
自分の肩にオリヴィアの頭がそっと乗せられても、どうにか表情は崩せずにいられた。
「一体いつから、俺の事をそういう風に思ってくれるようになったんだ?」
これは教えてくれるだろうか……。
気になった事をイアンは問うてみる。オリヴィアがイアンへの気持ちに「好き」だという感情が沸いた理由を知りたかった。
イアンに寄りかかったまま、オリヴィアはイアンを何度チラチラと見上げてくる。オリヴィアから視線を外さない彼に折れたのか、オリヴィアはイアンが好きだと気付いたきっかけを口にした。
「二か月前……叔父様のお屋敷へ招待されたでしょう?」
「ロアソル侯爵家の結婚記念パーティか」
ジェシカの実家──ロアソル侯爵は邸の庭で定期的にお茶会を開催する。
お茶会はジェシカの兄ウィリアム侯爵とその夫人が親しい人間だけを集めて開催されるもので、人数は十人程度の小規模なものだった。お茶会というよりも、井戸端会議の延長のようなもので、お茶を飲みながら世間話をする、というだけの気軽なものである。招待された貴族達は階級関係なく、ただロアソル侯爵家の当主が信頼している人間が呼ばれていて、終始穏やかな空気に包まれている。
スェミス大国に知り合いがいない姪っ子のオリヴィアを心配して、ウィリアムは定期的にお茶会にオリヴィアを招待して、人と喋る機会を与えていた。
いつもはオリヴィアだけしか招待されなかったが、二カ月前のお茶会というより記念パーティに今年はイアンも招待される。どうやら今年はロアソル侯爵夫妻結婚三十周年を迎えるようで、夫婦揃っての招待を受けたのだった。
「子供たちもその中に居て……イアン、遊んであげたでしょう?」
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