遅い初恋

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 その上、イアンは十七歳にして敵軍に『血塗られた悪魔』という通り名で恐れられていた。黒い髪を戦場で見たら、逃げろ、というお達しまで出ているらしい。どうやら漆黒の髪から悪魔という発想になり、血塗られたというのは戦場で浴びた返り血を頭から被り、拭きもせずにいるからだというが……そう言った話を聞いて、『危険分子』だと思われてしまう事に拍車がかかっていた。  そんな男が、令嬢から人気がある筈がないのである。  勿論、イアンからダンスを誘った事なんぞ一度もない。彼の定位置は壁際、兄かジェシカの隣だ。部屋に戻りたいのだが、反対を押し切って軍に入隊した際に、茶会や舞踏会の招待状を受け取ったら必ず参加するよう義母から義務付けられた為、場に居るだけなのである。イアンは曲に乗ってダンスを踊るよりも、銃声と肉が切れる音を聞きながら戦場を走り回っている方が好きだった。  イアンは長い溜息を吐いた。  壁際に立ち、夜会が行われている広間を見る。煌びやかな世界、宮廷楽団の優雅な音楽、並ぶ豪勢な料理に飲み物──当たり前の生活を生まれ育った国で過ごす事ができなかったそんな彼らを自国で目にしているから、民が飢える事をなんとも思っていない帝国にイアンは虫唾が走った。  ネロペインから命からがらにスェミス大国へ逃げ出してくる人間は年に数人は居る。本当はもっといるらしいが、両国の境目にあるカイロ領の城壁を飛び越える事ができず、兵に捕まってしまい命を落とした、と逃げ延びる事が出来た者はそう語った。彼らはイアンの厳しいチェックを受け、スパイではない事を証明されたのちにスェミス大国の市民権を得て、働き口を紹介してもらい、人並みの生活を過ごす事が出来る。イアンは尋問する側で恐れられる立場ではあるが、イアンから認められれば、生活が保証される為に、涙を流して感謝の言葉を告げる。そんな彼らを見ているからこそ、国民の血税で贅沢三昧な帝国を見て吐き気がする。  ネロペイン帝国はスェミス大国と隣接している国で三十年前から軍備強化を南下に下って推し進め一気に領土拡大をし、大陸有数の強国となった帝国である。スェミス大国は西に広がる国でネロペイン帝国と負けず劣らずの強国だった。ネロペインとは違い気候に恵まれ豊富な資源を誇るスェミス大国。それとは反対に冬が長く資源に恵まれておらず資源を求め軍備強化を推し進め、南下する事により他国を占領し資源を手に入れ強国となったネロペイン。強国同士は戦争をする理由がなくお互い牽制し合っていた。それがいつ戦争になってもおかしくない緊迫した状態へ陥ったが、十六年前にスェミス大国の侯爵家の娘がネロペイン帝国の皇族に嫁いだ事で同盟が結ばれ改善する。しかし、その娘は去年病死した。  その娘というのがスェミス大国国王の母親、イアンにとって義母のジェシカの双子の妹である。病死の知らせを受けた時のジェシカの姿は悲しみに打ちひしがられ、とても痛々しかった。  ジェシカの妹が亡くなった事により、同盟は破棄されると読まれたが、実際は未だ続いている。だからこそイアンはネロペイン皇帝の四十歳の誕生日と戴冠十年を記念して盛大な式典に、同盟国として招待状が送られてきた。しかし、その招待状はイアンに送られてきたものではない。  二通の招待状の一通目は国王のロイド宛だ。  これには大臣達が騒ぎ出し、大反対をする。国王に護衛を従けたとしても、治安は悪いとされる国である。命の保証は著しく低く、王自ら参加する事に賛成出来ない、と大臣達が喚き出した。  そして、もう一通目はスェミス大国軍の将軍、エリオット・サーレンにだ。  彼は平民から叩き上げで将軍まで上り詰めた男で、残した功績は数多く、エリオットの名は他国にも轟いていて、彼の瞳が琥珀色をしているところから戦場での通り名は「狼」だ。そんな将軍を見たい、と皇帝が発言した事により、彼も国王と共に招待されたのだが、防衛を司る将軍が戦争でもないのに国を留守にする訳にはいかない、とも大臣達が騒ぎ出した。  そこで──白羽の矢が立ったのは第二継承者のイアンだった。王位継承権をも持ち、軍に所属し在籍して二年で数々の功績を上げている人物を寄越したのだ。    (こういう時だけ、王族面させやがって)  自分が自国でどのように言われているか、イアンは知っている。『危険分子』だと誤解さてはいるが、その誤解をイアンは解くつもりはなかった。お陰で誰も自分に近付いて来ないので、楽なのだ。しかし、面倒な事だけ押し付けてくる事に対して腹は立つ。自分が外交向きではない事を把握しているイアンは、こういった派手やかな場所は大嫌いだった。
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