第一章 月夜の旅立ち

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2  満月の夜。僕は、住み慣れた図書館をそっと抜け出して夜の通りへ出た。秋の夜空はしんと静まっているが、草むらからは虫の声が聞こえる。それがいっそう、秋の空気を凛と引き立てている。秋の夜長とは、昔の人はよく言ったものだ。暑い夏がひと段落した頃、月明かりの中で読書するのは悪くない。僕はそんなことを考えながら、最初の曲がり角を右へ曲がった。  ふたつ目の曲がり角は左へ曲がり、僕はずんずん歩いていく。僕は厚紙でできた本なので何も食べる必要はないが、お弁当を持ってきたらよかったな、と思った。明け方に近い夜中。初めて歩く外の街。ひとりぼっちの僕。でも兄さんにきっと会えると思ったら、全然怖くない。むしろ遠足みたいでうきうきする。  いつの間にか満月は西の空に沈みゆくところで、新しい一日を歓迎するかのように太陽が昇ってきた。通りには、朝のジョギングをする人や新聞配達のバイクが見える。人間に見つからないようにしなければ。そんなことを考えながら歩いていると、向こうに犬が散歩しているのが見えた。犬は時々地面の匂いを嗅ぎながら、こちらの方に歩いてくる。僕は飼い主のリードにつながれた犬が通り過ぎるまで、物陰に身を隠してじっと息を潜めていた。無事に犬をやり過ごして、僕はまた歩く。  子どもたちが登校する時間帯は、誰もいない公園で休憩した。でもここで何時間も過ごすわけにはいかない。小学校や幼稚園に通う前の小さな子どもたちがもうすぐ遊びにくるからだ。いつもは子どもたちが大好きな僕だが、今日は絶対に見つかるわけにはいかないのだ。  小さな子どもたちがはしゃぎながら公園に来る気配を感じた。僕は追い立てられるように公園を出る。そこで僕はふと思った。生き別れた兄さんが隣町の図書館に確実にいるとは限らないし、そもそもどこが隣町かもわからない。いや、それ以前に、ここまで遠足気分で方向の見当もつけずに適当に歩いてしまった。もう、生まれ故郷の図書館に帰る道すらわからない。  どこからか猫が音も立てずに僕のそばにやってきて、無関心を装って去っていく。僕は何という無謀な冒険を始めてしまったのだろうか。急に不安になった。今の僕を支えているのは、兄さんに会いたい気持ちとどこまでも広がる青い空だけだ。
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