第一章 月夜の旅立ち

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3  不安な気持ちを抱えたまま、いったい何時間歩き続けただろうか。歩き疲れた僕は、とうとう力尽きて路上にへたり込んだ。そのまま眠ってしまったようだ。気がつくと、僕は路上ではなくて、きれいに整頓された部屋の中にいた。どうやら僕は、子ども部屋の勉強机の上に置かれているようだ。明け方だろうか、窓の外からちゅんちゅんと雀のさえずりが聞こえる。最後に見た太陽はまだ高い位置にあったので、かなり長い間眠っていたらしい。  僕は部屋を見回した。勉強机の横には本棚があり、同様にきれいに整頓されている。その向かいにはベッドが置かれていて、男の子が眠っている。はあはあと息が荒い。怖い夢でも見ているのだろうか。  すっかり朝日も昇り、窓の外から登校する子どもたちの元気な声が聞こえるようになっても、男の子は起き上がる気配がない。代わりに、お母さんが様子を見にきて熱を測ったりしている。そうか、この子は病気で寝ているのか。はあはあと息が荒かったのは、高熱で苦しいからだ。 「(みのる)、おかゆ食べられそう?」  お昼頃になり、お母さんがおかゆを持ってきた。男の子の名前は、実くんというのか。太郎でも一郎でもないので、僕の兄さんではないな。 「うん、少しなら食べられそう」  そう言って実くんはお母さんの助けを借りてゆっくりと身体を起こし、スプーンを手に取っておかゆを口に運び始めた。まだ身体がしんどいのか、時々スプーンを持つ手を止めながら、ゆっくりゆっくりおかゆを食べている。  実くんがおかゆを食べ終わった頃を見計らって、僕はお椀が載ったお盆の上にぴょんと飛び乗った。実くんは目を丸くして僕を見つめている。僕もドキドキしたが、勇気を出して話しかけてみた。 「僕のこと、拾ってくれてありがとう」  実くんはますます大きく目を見開いた。びっくりしすぎて、声が出ないようだ。大声で叫ばれなくてよかった。僕はほっと胸をなでおろした。 「君、しゃべれるの……?」  かなりの間を置いて、かすれた声で実くんは訊いてきた。  僕は「としょかんじろう」という名前で、生き別れた兄さんを探すために生まれ故郷の図書館を抜け出してきたことを話した。最初はびっくりしていた実くんだったが、さすがに柔軟な思考の子どもだ。すぐに僕のことを受け入れてくれた。  しかも、実くんは僕のことを知っていた。よく図書館に行って本を借りるので、その時に知ったらしい。子どもたちにモテモテだった頃を思い出して、僕は少し切なくなった。小学三年生の実くんは昨日、学校帰りに家の前に僕が落ちているのを見つけて拾い上げ、次に図書館に行く時に届けるつもりだったと言ってくれた。僕は幸運にも、実くんの家の前で眠ってしまっていたのだ。  実くんは、伏し目がちに自分のこともぽつりぽつりと話してくれた。生まれた時から身体が弱くて、季節の変わり目や学校行事のあとに熱を出しやすいこと。そのため学校も休みがちで、なかなか自分からは友達の中に入っていけないこと。でも、本当は友達がほしいこと。家の中で過ごすことが多いので、本を読むのが好きになったこと。確かに実くんの本棚には本がたくさんある。僕は、実くんの大きく澄んだ目を見つめながら、うんうんと話を聞いた。途中、実くんのお母さんが様子を見にきた時に、実くんは僕を素早く布団の中に隠したので、僕は目が回って息が止まるかと思った。 「僕、少し疲れちゃった」 「じゃあ、実くんが眠るまで、僕が物語を聞かせるね」  僕は、実くんに物語を作って聞かせてあげることにした。密かに尊敬している百科おじさんの知識量には到底かなわないが、僕も一応本なので、物語くらいは作ることができるのだ。魔物にさらわれた幼馴染の女の子を助けにいくため、周囲の心配をよそに旅立つ男の子の物語。聞いているのが実くんなので、少し病弱なところもあるが心の優しい主人公にした。残念ながら実くんは、主人公が村を出ようと決心したあたりで寝入ってしまった。  夕方が近づくにつれてまた少し熱が上がってきたのか、時折実くんは苦しそうな表情を浮かべた。僕は、身体を閉じたり開いたりして風を起こしてあげた。お母さんが来る気配を察したら、僕は自分から実くんの布団へ潜った。実くんのじんわりと熱い体温に触れ、僕の心はざわざわ揺れた。実くんの鼓動をすぐ近くに感じながら、僕は早く兄さんに会えますように、と願った。
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