第五章 ぼくの願いがかなう時

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2  ゴールデンウィークが終わって早々、お兄ちゃんたち六年生は修学旅行に出かけていった。行先は広島。ぼくたちの住む神戸市から、新幹線に乗って二時間ほどで到着する。平和学習の一環として、ぼくたちも鶴を折った。ぼくは折り紙が得意なので、すいすい折ることができた。その折り鶴を全学年分集めて、お兄ちゃんたちが学校を代表して納めるのだそうだ。  お兄ちゃんも、修学旅行を楽しみにしていたひとりだ。お兄ちゃんの身体が弱いこととお父さんがお店をやっていることが理由で、ぼくたち家族はめったに旅行ができない。ぼくは幼稚園の年長組の時に宿泊保育を経験しているけど、お兄ちゃんは友達と泊まるのは初めてだ。だからお兄ちゃんは、五月に入ってから風邪を引かないように、熱を出さないように、とても注意深く生活をしていた。そのかいあって、お兄ちゃんは元気に修学旅行へと旅立っていった。  お兄ちゃんが元気なのに不在なのは、ぼくにとっても初めてのことだ。お兄ちゃんが入院していて家にいないのは時々あって、その時のお母さんは表情も暗く疲れているけど、今日のお母さんは明るい。ぼくはお母さんを、それも機嫌のいいお母さんをひとり占めできるから嬉しかった。  ぼくが学校から帰ると、お母さんは妙にうきうきした様子で、「尊、どこかお出かけしよっか」と言ってきた。ぼくは嬉しくなって行きたいところを考えた。どこか遠くの公園に連れていってもらおうか、それとも電車に乗る方が楽しいかな。あれこれ考えたけど、ぼくが出した答えはお父さんのお店に行くこと。「えー? お父さんのお店でいいの? お父さんのケーキ、しょっちゅう食べてるのに……」とお母さんは残念そうだけど、ぼくはお店で働くお父さんの姿を見るのが好きだ。ケーキだって、お店で食べる方が美味しく感じられる。  お父さんのお店は「ケーキ屋みのる」という。お兄ちゃんの名前のついた店名がどうしてもうらやましくて、「ねえお父さん、お店の名前を変えてよ」と何度も頼んだ。でも、ぼくがそう頼むたびにお父さんは困った笑顔を浮かべるだけだった。ぼくが幼稚園に入園した年に、それまでケーキを売っているだけだったお店にカフェが併設され、その時、ぼくの名前がメニューのひとつになった。ぼくの一番好きなチョコレートケーキとドリンクで「たけるセット」。ぼくはこれからその「たけるセット」を食べにいく。
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