第一章 月夜の旅立ち

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4  実くんと別れた僕は、再び歩き出した。この街のどこに何があるか全くわからない僕は、もうやみくもに歩くしかなかった。こうなったら歩き疲れて足が動かなくなるまで、とことん歩いてやろうと思った。  今頃実くんは、剛志くんに話しかけることができているかな。今朝別れたばかりの実くんが、もう恋しくなる。僕に初めてできた友達。寂しくなってくじけそうになるたび、空を見上げた。高く澄んだ秋の空に、太陽が優しく輝いている。兄さんもこの空を見ているのかな。そう思ったら、僕はきゅっと胸が苦しくなった。  さらに何時間も歩き続けた僕は、少し休むために公園に入った。図書館から抜け出して最初に休憩した公園や今朝実くんと別れた公園とは違って、ひっそりと人気のない公園だ。小さなすべり台とブランコしか遊具がない。僕は「よいしょ」とつぶやいて勢いよくベンチに飛び乗った。少しバランスを崩した僕は、ふらふらと倒れそうになった。何とか身体を立て直す。  公園の前の道を学校帰りの子どもたちが通っていく。そうか、もう放課後なのか。僕の住んでいた図書館にも、子どもたちが来る頃かな。  下校途中の子どもたちを眺めてぼんやりしていると、ひとりの女の子が公園に入ってきた。僕は早く隠れなきゃ、と思った。でも、女の子はランドセルを背負ったまま、入り口近くのベンチにいる僕に目もくれずにブランコに腰かけた。 「もう! 可奈ちゃんなんて大嫌い!」  女の子はそうつぶやくと、うつむいてしくしく泣き出した。  僕は、女の子が泣きやむのを待って、ブランコに飛び乗った。今度は注意したので身体がふらつくことはなく、上手に飛び乗ることができた。身体の小さな僕は両側の鎖に手が届かないので、ブランコが揺れないようにじっとしなければならなかった。でも、厚紙でできている身体は軽いので、そもそもブランコは揺れるはずもなかった。  僕はそっと女の子に声をかけた。 「どうしたの? 大丈夫?」  突然聞こえてきた声にびっくりした様子で、女の子は顔を上げてあたりを見回すが、公園には僕以外誰もいない。 「空耳か……」  女の子は、また視線を下に戻す。両足で土を小さく蹴り始めた。 「隣のブランコを見てみて」  僕はまた話しかけた。女の子は今度こそ僕の方を見てくれた。「えっ?」という口の形のまま、僕を見つめている。 「あなた、図書館の……?」  この子も僕のことを知っているんだ。この子も、僕が子どもたちにモテモテだった頃に「かわいい!」と言ってくれたひとりだろうか。僕は女の子に自己紹介をし、生き別れた兄さんを探す旅をしていることを話した。女の子も名前を教えてくれた。遥香ちゃんという小学五年生だ。思春期にさしかかった五年生の女の子でも、まだ僕のことを違和感なく受け入れてくれるのだ。 「ねえ、遥香ちゃん。さっきどうして泣いてたの? よかったら僕に話して」  僕は、遥香ちゃんを悲しい気持ちのまま家に帰したくなかった。 「そうだった! わたし、じろうくんを見てびっくりして忘れるところだった! 話、聞いてくれる?」 「うん、もちろん」  遥香ちゃんは僕から視線を外し、再びうつむき加減になって話を始めた。 「可奈ちゃんがね、最近わたしと一緒に帰ってくれないの」  親友の可奈ちゃんが、最近授業が終わると遥香ちゃんを残してさっさと帰っていくらしい。一緒に帰ろうと誘っても、用事があるからと言って先に帰ってしまう。僕は最初、小学校の高学年女子にありがちな、友達関係の微妙な変化かと思った。でも、他の友達と一緒に帰っている様子もないのだとか。 「他の友達と帰っているわけでもなさそうだし……。それに、学校では普通に一緒に過ごすから、もうわけがわからないんだ」  僕はうんうんとうなずきながら、一生懸命話を聞く。女の子が話している時は、自分の考えを無理に押しつけたりせずにじっと耳を傾けるのがいい。そして、絶妙なタイミングで相槌を打つ。 「うんうん、それで?」 「可奈ちゃん、わたしのことが嫌いになっちゃったのかな? でも、どうして学校では普通にしてるんだろう?」  遥香ちゃんにとってはそこが最大の疑問点だが、何だか怖くて可奈ちゃんに真相が訊けないのだそうだ。強引に問いただして可奈ちゃんにこれ以上嫌われたくない、と遥香ちゃんは不安な声を漏らす。はあっと遥香ちゃんは長いため息をついて言葉を続けた。 「わたしね、今日十一歳の誕生日なんだ」  会話があちらこちらに飛ぶのもよくある話。僕は「お誕生日おめでとう」と祝福した。 「じろうくん、ありがとう。でも、誕生日、可奈ちゃんと一緒に過ごしたかった……」  うんうん、本当は遥香ちゃん、可奈ちゃんと誕生日を一緒にお祝いしたかったんだね。親友だもんね。悲しかったね。僕が遥香ちゃんの気持ちを代弁すると、とうとう遥香ちゃんは声を上げて泣き出してしまった。  僕はさっとハンカチを取り出してあげたかったが、あいにく持っていない。僕の身体で涙を拭いてあげてもいいが、そうすれば厚紙でできた僕は壊れてしまう。壊れてもいいやと意を決して遥香ちゃんの膝に飛び乗ろうとしたら、一足早く遥香ちゃんはポケットからハンカチを取り出して涙をぬぐった。最後にぶーんと洟をかんだ遥香ちゃんは、吹っ切れたような表情をしている。そのまま僕を見据えて言った。 「わたし、やっぱりこのままで今日を終わらせたくない。今から、可奈ちゃんちに行ってくる!」  子どもたちは、自分自身で問題を解決する力を持っているのだ。僕にできることは、じっくり話を聞くことと、背中をそっと押すことだけだ。 「うん。僕、ふたりが仲直りできるよう応援してる」 「話を聞いてくれてありがとう、じろうくん。じろうくんも早くお兄さんに会えるといいね!」
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