第五章 ぼくの願いがかなう時

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3  やっぱり頼れる剛志さんと、やっぱり身体の弱いお兄ちゃん。  案の定、お兄ちゃんは修学旅行から帰ったその夜から熱を出した。晩ご飯の時は元気にハンバーグを頬張っていたのに、お風呂上がりのお兄ちゃんは妙に火照っていた。いち早く状態を察したお母さんは、お兄ちゃんの脇に差し込んだ体温計を見てため息をついた。翌日、やっぱりお兄ちゃんは学校を休むことになり、ぼくはひとりで登下校しなければならなかった。  その頃になるともう上級生と下級生で下校時間も違うし、家の近くまで航くんと一緒だから、お兄ちゃんが休んでいるからといって何の問題もない。でも、お兄ちゃんも元気に学校に行っているのと家で寝ているのとでは、ぼくの気持ちが違う。ぼくは航くんと別れてから、何となく速足で家まで帰った。家へ帰った時、お兄ちゃんは眠っていた。「お兄ちゃんね、午前中点滴をしてもらったのよ」とお母さんは言った。ぼくはそんな話なんか聞きたくないと思ってしまった。  ぼくは今、図書館へ行く途中だ。右手にぼくの本が入っている手提げ、左手にお兄ちゃんの本が入っている手提げを持って。ふたり分の荷物は重い。お母さんは「ついていこうか?」と言ってくれたけど断った。ぼくはもう一年生だ。図書館くらいひとりで行ける。それにお母さんは、お兄ちゃんを置いていけないでしょ?  それにしても荷物が重い。太陽もギラギラ輝いて、汗が出てくる。ぼくは両手に持っていた荷物を道路に置いて休憩した。吹き出した汗をハンカチで拭う。どうして図書館に本を返しに行く日に限って、お兄ちゃんは熱なんか出すんだろう。  こんなところで休憩していても暑いだけだし、早く図書館に行きたい。ぼくはもう一度両手に手提げを持ち直して歩き出した。しばらく歩いた時、ふっと左手が軽くなった。驚いて振り返ると、にやりと笑った剛志さんがいた。 「よう、尊」 「剛志さん!」 「図書館へ行くのか? 荷物、持ってやるよ」  お兄ちゃんに連絡帳を持っていった帰りだという剛志さんは、ぼくの荷物をふたつとも片手でひょいと持ってくれた。やっぱり頼れる剛志さんだ。 「お前ら、兄弟で本借りすぎなんだよ」 「だって、好きなんだもん」 「オレにはわかんねえ」  本を読むのって楽しいのにな。ぼくは図鑑などの調べる本が好きで、お兄ちゃんはお話の本が好きだ。  ふたりで並んで図書館まで歩く。ぼくは剛志さんの横顔をちらちら見上げた、六年生で一番背の高い剛志さんはすごくかっこいい。時々ぼくは、剛志さんがお兄ちゃんだったらどんな感じだろうかと想像する。きっと、毎日外でたくさん遊んでもらって楽しいに違いない。  図書館のロビーを抜けて中に入ろうとした時だった。剛志さんはぼくにふたつの荷物をつき返して言った。 「オレ、ここで待ってるから」 「えっ? 中まで一緒に行ってよ。お兄ちゃんの本を借りるのを、手伝ってよ」 「やだよ。オレ、読書アレルギーだから」  何だよ、読書アレルギーって。十分ほど押し問答をしていただろうか。最後に剛志さんは折れて、図書館の中まで一緒に来てくれた。やっぱりお兄ちゃんは、読書の好きなぼくのお兄ちゃんがいいな。  返却カウンターにはマスコットのじろうくんがいる。もともとじろうくんはお兄ちゃんの友達で、お父さんやお母さんには内緒で紹介してもらった。「図書館のじろうくんだよ」と言いながらじろうくんを掌に乗せたお兄ちゃんを見て、ぼくはいよいよ高熱でおかしくなってしまったのかと心配した。でも、実際にじろうくんがしゃべって動くのを見た時、ぼくはこんな友達のいるお兄ちゃんはすごいなぁと感心した。  返却カウンターのところに人がいなくなるのを待って、ぼくはじろうくんに駆け寄った。剛志さんも「よう、じろう」と照れ臭そうに言っている。じろうくんは剛志さんの顔を見て驚いていた。ぼくはじろうくんに「剛志さんがついてきてくれたよ」と言った。  本を借りる時になって、ぼくは剛志さんに訊いた。 「ねえ剛志さん、お兄ちゃん何の本がいいと思う?」 「訊いてこなかったのかよ」 「だって、家を出る時お兄ちゃん眠ってたから……」  剛志さんは図書館内を見回してから、目の前にあった展示コーナーを指さした。「今から立てよう! 夏の計画」とあり、旅行のガイドブックや写真集などが置いてある。剛志さんはその中の写真集を一冊、手に取った。厳島神社の鳥居が表紙になっている、日本の美しい風景の写真集だ。 「これにしろよ」  写真集か。これはぼくにも思いつかなかった。 「ここ、修学旅行で行ってきたんだ。実は旅行したことがないって言ってたから、こういうの喜ぶんじゃないか?」 「確かにそうかも。剛志さん、ありがとう」 「お、おう」  ぼくがお礼を言うと、剛志さんはまんざらでもなさそうな様子で鼻の頭をかいた。  それからぼくは、自分のために昆虫図鑑と星座図鑑を借りた。  全ての本を借り終えて図書館から出ると、剛志さんはやっと自由に息が吸えるといった様子で深呼吸をした。それから大きく伸びをし、またぼくの荷物を持ってくれた。 「そんなに本が嫌いなの?」 「おう。けど、じろうには借りがあったから。いつかは顔出さなきゃとは思ってたからな。ちょうどよかった」 「剛志さんって大人みたい。借りがあるとか顔出すとか」 「そうか? それにしても、尊って意外とわがままだよなー。読書アレルギーのこのオレを、図書館の中まで引っ張っていくなんてよ」 「だって、お兄ちゃんにはあんまりわがまま言えないから……」  家で寝ているお兄ちゃんの苦しそうな寝顔が頭に思い浮かんだ。お兄ちゃん、もう熱は下がっただろうか。 「そっか」  剛志さんは、手提げを持っていない方の手でぼくの髪をくしゃくしゃとなでてくれた。そして、ぼくの借りた本が入った手提げをちらっと覗いて言った。 「尊、昆虫好きなのか?」 「うん。好き」 「なら、オレのいとこがさ、夏にカブトムシくれるって言うから、見にくるか?」 「ほんと? 見たい!」  お盆におじいちゃんとおばあちゃんに会いにいく以外は予定のない夏休みに、楽しみな予定が加わった。  家まで送ってくれた剛志さんと別れて早速お兄ちゃんの部屋に行くと、お兄ちゃんは起きていた。熱は微熱に下がっていた。 「お兄ちゃん、ただいま」 「おかえり、尊」  ぼくは借りてきた写真集をお兄ちゃんに手渡した。お兄ちゃんの反応がちょっと心配だったけど、お兄ちゃんは喜んでくれた。ベッドに上半身を起こして、写真集をぱらぱらとめくっている。ぼくはお兄ちゃんのベッドにもたれかかるように体育座りをして、昆虫図鑑を見た。  ぼくはお兄ちゃんの部屋で一緒に過ごすのが前から好きだった。ぼくとお兄ちゃんがもっと小さかった頃、お兄ちゃんは今よりも熱を出しやすくて、寝ていることが多かった。ぼくは寝ているお兄ちゃんのそばでミニカーを走らせたり絵本を読んだりしながら、たくさんの時間をお兄ちゃんと過ごした。  ぼくは図鑑のカブトムシのページを開いて、お兄ちゃんに見せた。 「ねえお兄ちゃん、夏休みに、剛志さんがカブトムシを見せてくれるって」 「カブトムシかぁ。お兄ちゃんも一緒に見にいっていいかな」 「当たり前だよ。一緒に行こう」  それからもしばらく、ぼくたちはそれぞれの本に夢中になっていた。
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