第五章 ぼくの願いがかなう時

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11 「尊、お父さんのお店に行こう」  卒業式が終わって家に帰り、お昼ご飯を食べたあと、ふいにお兄ちゃんが言った。お父さんが特別に作ってくれる卒業式のお祝いケーキを取りにいこうというのだ。お父さんは卒業式に列席したあと、お店に行っている。 「うん、行く!」  ぼくとお兄ちゃんはバスに乗って駅を目指した。お兄ちゃんとふたりきりでバスに乗るのは初めてだったので、ぼくははしゃいだ。ぼくは「どうして卒業式と修了式は一週間も離れてるのかなぁ」とか「お楽しみ会、夕夏ちゃんと同じ班なんだ」とか、いろいろしゃべった。お兄ちゃんはその都度「どうしてだろうね。お兄ちゃんはそんなこと考えもしなかったよ」とか「美咲ちゃんとは別の班なんだ」とか、答えてくれた。そして、駅が近づいてきた時、「ね、お兄ちゃんが卒業しても何も変わらないでしょ?」と言った。ぼくは本当にその通りだと思った。あんなに寂しかったのが嘘のようだ。 「ケーキ屋みのる」の元気な店員さんの挨拶に迎えられて、ぼくとお兄ちゃんはカフェスペースの席に着く。お父さんが注文を取りに来てくれ、ぼくは「たけるセット」、お兄ちゃんはチーズケーキのセットを注文した。前に「たけるセット」を食べたのは、お兄ちゃんの修学旅行の時だった。あれからずいぶん経ったけど、昨日のことみたいだ。 「お兄ちゃんはいちごのケーキじゃないの?」 「だって、今日の特別ケーキ、いちごのだよ」 「そっか。ぼくの卒業式のケーキは、やっぱりチョコがいいな」  お兄ちゃんがメニューブックを見ながら言った。 「尊は本当にチョコが好きだね。他のケーキもいっぱいあるのに」 「お兄ちゃんだって、いちごばっかりじゃない」  お父さんがふたり分のケーキセットを持ってきた。「おふたりとも、一日に二回も食べ過ぎですよ」とお父さんが笑いながら、それぞれの前にお皿を置いた。お兄ちゃんのお皿にはチョコペンで「そつぎょうおめでとう!」と書かれている。 「ご卒業おめでとうございます。どうぞ、ごゆっくり」  お父さんはバックヤードに帰っていく。ぼくたちはしばらく無言で、それぞれのケーキに取りかかった。やっぱりお店で食べると一味違う。  ぼくが食べ終わっても、お兄ちゃんはまだ半分も食べていない。ぼくは心配になった。 「お兄ちゃん、大丈夫?」 「うん……。やっぱりちょっと疲れたのかな……」  お兄ちゃんは額にうっすら汗をかいている。少し顔色も悪い。 「お父さん、呼んでくるね」  ぼくがそう言って立ち上がった時だった。  スローモーションのように、お兄ちゃんが椅子から転げ落ちた。苦しそうに胸を押さえて横たわっている。 「お兄ちゃん!」  ぼくはお兄ちゃんに駆け寄ろうとしたけど金縛りにあったみたいに動けなかった。  ぼくの声を聞きつけたお父さんがバックヤードから出てきて、お兄ちゃんのそばで「実! 実!」と名前を呼んでいる。全てはテレビの向こうのような光景で、ひどく現実味がなかった。そのうちカチカチという不快な音が聞こえてきた。こんな時にいったい何の音だろうと思ったけど、ぼくの身体が震えていて歯がぶつかりあう音だった。ぼくは妙に冷静に、嫌な音だなと考えていた。  店員さんが呼んだのだろうか、どこからともなく救急車のサイレンが聞こえてきた。そして、店の前で止まった。
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