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「要件は、以上で?」
伊庭のかしこまった物言いに、クシャッと顔を潰して彦根は頷く。癖のあるふわふわの髪の毛がその動きに散漫に合わせて動く、まるで……クラゲを見ているようだった。
「うん、そーだよ」
ふわっと初夏特有の湿っぽい風が吹き抜ける。今日は晴天だけど、昨日の夜は雨だった。
「じゃあ」
「まーったね!智迅!」
バチン、と音のなるほど激しいウィンク。長いまつ毛がバサバサと忙しく動いていて、勢いづいて駆け抜ける彦根の背とその残り香はほのかな汗の匂い。
また、風が吹き抜けた気がした。
嵐が消えたその跡には快晴が広がる。
伊庭はしばらくぼんやりと宙に視線をさまよわせて、暖かい陽の光を全身で受け止め。
広がった快晴をありがたく享受していた。
「……あったかい」
今日はとてもいい日だ。暖かくて、綺麗で、土砂降りの雨だった昨日の夜の惨劇を感じさせない。伊庭は天気のそういう切り替えの早い所いつもを羨ましく思っている。
「よっ」
その声に振り向くとまたもや新しい嵐だ。
台風2号もといい、九条冬樹。3年生の風紀副委員長である。
……やや、暑いなァ。
馴れ馴れしく頬をピタリとつけてくるこの男に伊庭は初夏の暑さを思い出す。
そうして残暑はまだまだ続くのやもしれない。そう、伊庭は思った。彼の熱を孕んだ湿った頬が不愉快仕方がないのだ。
「先輩、なんですか……」
「えへん、お前にね、重大なお知らせ」
伊庭の耳元でそう言うと、彼はピンとさながら演者のように格好をつけて立つ。
して先輩は黒縁のメガネを得意そうに中指で持ち上げ、彼のユと瞼がしなる、そこから見える瞳は……深海や宇宙を思わせる程に深い。
「へぇ、なんです?」
幼子のように伊庭は問うた。
して冬樹はホロり……と顔全体を緩めた。どうやら彼の期待に沿うことができたようだ。
「この前のさ、1年が襲われたってやつ?」
ステージ(本人の脳内)を歩く冬樹。
太陽……いや、スポットライトが彼を照らす。
先輩の黒髪に天使の輪がふと浮かび上がる、
まあ、本人は天使というよりも悪魔に近い。
そう思う伊庭は……失礼な男であった。
「はい」
だが、伊庭はそんなことおくびにも出さずに 礼儀正しい彼の観客に徹した。
「情報ですヨ……!なんと犯人は⎯⎯⎯⎯」
最初っからクライマックスだ。
声をはりあげて名だたる名探偵たちの例に漏れず、冬樹はかっこよく推理を披露するための徘徊始める。もちろん人差し指を立てて、靴を音を鳴らして。
「あっ!先輩いたーーー!!!」
だか、せっかく立てた靴音をかき消す轟音が廊下に響いた。
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