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午前8時15分。
俺の朝が始まる。
起き抜けの冴えない頭のままキッチンへ向かい、パックのままの低脂肪牛乳を片手にベッドルームに戻る。
東側に張り出したウッドデッキに出ると、俺は自慢の天体望遠鏡の焦点を合わせる。
「おはよう、咲良ちゃん」
眩しい朝日を反射してスコープの端に現れた、可憐な顔に朝の挨拶をする。
「ああそうそう。ついでにおまえもな、ヒデアキ」
朝だというのに小憎らしいほどビシッとスーツを着こなし、一分の隙もない身のこなしで現れた男にもついでに挨拶。
俺の可愛い咲良ちゃんが主の持ち物であるHERMESのアタッシュケースを大事そうに胸に抱え、車寄せに止めてあるフェラーリのナビシートのドアを開ける。
今日の車の色は艶のあるメタリックシルバー。
駐車場にズラリと並んだフェラーリの中で、ヒデアキが一番気に入っている色だ。
まるで愛しい赤ん坊でも抱き下ろすようにしてアタッシュケースをシートに降ろすと、そのままドアを閉めようとして・・・・・・失敗する。
ドライバーズシートに乗り込んだヒデアキに腕を引かれ、身体ごとシートに倒れ込んだ俺の可愛い咲良ちゃんは、耳元で何かを囁かれ頬を真っ赤に染めている。
「コラ! 離れろ! 俺の咲良ちゃんにいかがわしいことすんな!」
俺は心の中で舌打ちをして、思わず手の中のパックを握りしめ牛乳を溢れさせた。
白い雫が綺麗に磨かれたウッドデッキの上にこぼれ落ちる。
行ってらっしゃい、と咲良ちゃんが名残惜しそうにつぶやくのが、口の動きでわかる
車のドアが閉められ、軽いエンジン音を響かせてフェラーリが門へと滑り出す。いつもと変わらない光景だ。
無事にドアの向こうに消えた咲良ちゃんを確認して、俺は望遠鏡から離れた。
待っていたように携帯の着信音が鳴る。
『相変わらず悪趣味ですね。まーくんは』
「おまえもな」
まったく勘の良い男だ。
俺が観察していることなど目視できるはずもないのに。
『咲良くんに手を出したら小野くんに言いつけますよ』
「佳人は俺の愛しい愛しいchérie!(最愛の人)。咲良ちゃんはか弱い子羊ちゃん。おまえの魔の手から守ってやってんの」
『オオカミなったら私が許しませんからね』
ヒデアキの言うことは、ガキの頃から冗談なのか本気なのか見分けが付かない。
俺もヒデアキも、感情を表に出してはいけないと言われて育ってきたからだろうけど。
俺は、お袋が亡くなってこの家に一人で住むようになってから、それまでの反動でこんなおちゃらけた人間になったけど、アイツは堅物だからなぁ。
まぁ咲良ちゃんに関しては本気なんだろう。
手なんか出したら、翌日にはどこぞの海にプカプカと浮いているかもしれない。
ヒデアキの心を溶かした咲良ちゃんをマジで尊敬するぜ。
「ハイハイ。過保護なダーリンはそろそろ出発したらどうなのよ。いくら私道でもそんなところにいつまでも停車してると怪しまれるぞ」
ウッドデッキに戻り、門を少し出たところで停車している車に向けて手を振ってみる。
『小野くんは諦めなさいって言ってるのに』
何かを知っているらしいヒデアキが、慰めるような声でため息をつく。
理由を聞いてみたい衝動に駆られるが、ここはグッと我慢だ。
こういうことは本人から聞かなければ意味がない。
それに、たとえ何があっても俺には佳人の全てを受け入れる覚悟がある。
『冗談はさておき。まーくん、今日も咲良くんをよろしくお願いします』
「おお。任せとけ」
なんだ、冗談だったのか。そう思いながら苦笑いをしてしまった。
咲良ちゃんがヒデアキの家のハウスキーパーになってからそろそろ3カ月。
危ない場面はいくつかあったが、咲良ちゃんには気付かれずに未然に防ぐことができている。グッジョブ俺。
「さて、そろそろ出番かな」
午前8時30分。
今日も俺と咲良ちゃんのラブラブな一日が始まる。
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