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結婚を機に引っ越すことになった隆彦。
妻との新たな生活は、胸を躍らせる未来を予感させていた。
しかしまだ20代後半ということもあり、極力貯金は崩したくないのが正直なところだ。
そのため、ネットで安い引っ越し業者を探していた。
「うーん……何か良いとこは無いか……」
一度は比較的安い、CMでも見る業者でいこうと思った。
やはり何事も安全確実にいきたいのが人間というもの。
「えっまじ!?」
隆彦は思いがけない広告を見つけた。
健康診断を受けて条件を満たせば四千円。というものだった。
しかもその健康診断は無料。
「ま、どうせスパムとかだろう」
今の時代、ネット広告程危険なものはない。何がフィッシングかも分からないのだ。
隆彦はやはり別の業者に頼もうとクリック……しようと思ったが、やはり気になってしまった。ネット初心者というわけではない。しかし、この安さは時間を使って見るだけの価値はあると何故だか思った。
「……」
恐る恐る広告をクリックする。すると、サイトは怪しいどころかそこらの企業サイトよりもはるかに優れたデザインを誇り、消費者のことを一番に考えていると断言できるまでの出来だった。これは相当お金をかけて作っているだろう。電話番号もメールアドレスも、住所だってある。とはいえ別の企業の住所を使用していることは稀にあるわけで。
隆彦はちゃんとした企業なのかどうか調べた。結果、住所にはしっかりとその企業があることは確認できた。また電話もサポートに繋がり、メールもすぐに返事が来た。これで誰かを騙そうとは思わないだろう。
しかし、やろうと思えばできるのがこの世界。隆彦はまた疑った。
「いつできた会社だ……? お、マジかすげぇ」
大手製薬会社が、少し前に子会社として立ち上げたばかりの会社だった。顧客を第一に考え複数サービスを展開するらしい。引っ越しはその一つだそうだ。それに、大手のグループ企業となればもう安全だろう。口コミはまだ少ないようだが全てが高評価だし、隆彦は特に危険性を感じなくなった。
「何を見てるの?」
風呂上がりでパジャマ姿の妻、美咲が画面を覗いてきた。
「これ見てよ。凄くないか? 上手くいけばめっちゃ安くすむかもしれん」
美咲は訝しげにそれを見つめる。
「怪しくない? だって安すぎるでしょ」
「いやいや。色々調べた結果、最近できた大手のグループ企業だって分かったんだ。安全だよ」
企業概要も見せる。
「ふーん。確かに有名なとこだけど。本当に大丈夫?」
まだ疑いを持つ美咲。隆彦は自分の考えを言った。
「大丈夫だって。今はこういうのが主流なんじゃない? 消費者の健康データと引き換えにサービスするみたいな。今後はデータを任意に渡して必要なサービスを得る時代だよ!」
「あなた最近そういうのハマってるもんね。まぁいいや。隆彦が大丈夫って言うなら大丈夫なんでしょ」
美咲はこれ以上追及しなかった。
隆彦はそれを了承だと捉え、健康診断を受けることに決めた。公式サイトからフォームに入り、個人情報を入力して送信した。
後日。
隆彦は同じく健康診断を受ける他の人達と共に、社内で行われるような診断を受けた。
スタッフは全員が大手製薬企業のTシャツを来て名札もあった。出張で行っているのだろうか。
「次は高野さーん」
名前を呼ばれた隆彦は、様々な器具が置かれた診断ルームへと入った。
ありとあらゆる臓器を調べ上げられ、好みや趣味などを記入する簡易的なアンケートもあった。他にもストレス耐性テストやパッチテストなども行われるという盛りだくさんの健康診断だった。
「これで無料とはなぁ…すげぇや」
隆彦は無事検査を終えると家へ帰宅し、結果を心待ちにした。
そして数日後。
隆彦がいつも通りメールを確認していると、診断結果が来ていた。
全て良好。健康で模範的な人物であると評価されている。
「よっしゃ!」
その後受けるサービスを選択するフォームが出た。隆彦は引っ越しをクリックし必要情報を記入。引っ越し日時を入れた。
「入れたぞー」
ソファーで転がる美咲に言うと、適当に返事をされる。
「おっけー」
まぁいい。これで安く引っ越しを受けられるようだ。
引っ越し当日。
「今回引っ越しを担当いたします。伊藤と申します」
「同じく担当の木村です。よろしくお願いいたします」
礼儀正しい二人の業者が来た。二人とも少しやせ細っている気がしたため少し心配にはなったが、その不安は瞬時に取り除かれた。
二人ともかなりの力だ。重い物を軽々とそれでいて丁寧に運んでいく。
「すげぇ」
これが四千でいいなんて、凄い時代になったと隆彦は歓喜の声を漏らした。
「……なにあの人」
美咲が言う。
「ん? どした?」
美咲がトラックを見ていたところ、何やら見知らぬ人間が近づいてきたようだ。業者の一人では無いようだが。ヨボヨボでやせ細っているうえ何やらにこにこして、悪いとは思いつつも少し気持ち悪いと感じた。通りすがりにも見えないため一度話すべきだろうと隆彦は思う。
「ちょっとあの人に言ってくる」
「大丈夫ですよ。私が行ってきますから」
二人の不安を感じたのか伊藤が見知らぬ男に声をかけ、その場から立ち去ってもらう。説得は絶妙に困難を極めていたようだが、なんとか上手くいった。
「いやぁ客のことよく考えてるな」
このサービスは優れている。引っ越しを考えているという友人にも紹介しようと決めた。
その後は新居へと向かい、また荷物運びが始まる。
「いやぁ結構早く終わりそうだな」
朝からやって貰っているからか、結構な距離があったにもかかわらず夕方ぐらいには終わりかけていた。
「ちょっとお手洗い行ってくる」
「おう」
美咲はトイレへ行く。
すると同時ぐらいに木村が最後の荷物を運び終わる。
「終わりましたー」
「ありがとうございます」
隆彦は仕事の速さに喜び感謝の言葉を言うため近づく。
「いやぁ仕事早いし安いしほんと申し訳ないです!
隆彦が言うと、木村は笑顔で答えた。
「いえいえ。これが私共のサービスでございますから」
「今度他の奴にも言っておき……おいあの人!?」
「どうしました?」
「な、なんでいるんだ」
前の住居でトラック近くにいたあのヨボヨボの男。何故か遠く離れた新居の前にいるではないか。服も同じだし顔も間違いない。またトラックの近くに佇んでにこにこしている。だが心なしか顔色はより悪くなっているように見えた。
「警察を呼びます」
流石に怖すぎる。隆彦はスマホを取り出し通報……というところで止められる。
「これが私共のサービスですので、完了まで公的機関を使用するのはお控えください」
「は? 何を言ってんだ。なんかよく分からん奴がいるんだ。見間違いだとしても一度」
「おやめください。引っ越しの際中です」
木村は恐ろしい形相でこちらのスマホを掴む。
「ちょっやめて」
「もうすぐですので。完了後に行ってください」
「意味が分から」
視界にあのヨボヨボ男が浮かんだ。まるでフラッシュバックのように突然見える。
「……?」
視界がだんだんと薄れていく。
隆彦は何とか耐えようとするも上手く身体が動かせず、その場に倒れ込んだ。
最後に閉ざされる前、木村は何か言っているように見えた。
「これで……完了でございます」
それからどれくらい時間が経ったか。ようやく美咲が戻ってくる。
「あれ? もう引っ越し業者さん帰っちゃったんだ。残念……ん? 隆彦?」
家の門近くに立つ隆彦を見つけた。何故かずっと立ったまま。
「何してるの?」
近づくと、隆彦は笑顔を見せた。
「おぉ美咲。ちょうど今引っ越しが終わったところなんだ。入ろうか」
いつも見るような隆彦の顔。
しかしその笑顔は、何故か恐怖の感情を美咲に与えた。
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