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翌週。
はるかちゃんがお母さんと一緒にレッスンに来た。
挨拶を終えたところで、椅子の高さ調整と補助ペダルを付ける。
「じゃあはるかちゃん、早速弾いてみようか」
「は〜い」
彼女が先週苦戦していた『素直な心』を弾き始めた。
少し離れた後方で、はるかちゃんの演奏している様子を見ていると、楽譜には一切目を向けず、鍵盤に集中していた。
弾き終わったところで、私は、はるかちゃんに聞いてみた。
「はるかちゃん、もしかしてこの曲……楽譜見ないで弾けた?」
「うん。みぎてもひだりても、ぜんぶうたえるよ!」
先週、右手のフレーズで苦戦していたのに、一週間後には既に暗譜してきた事に、私は密かに驚いた。
レッスンで歌った事が、予想以上の効果が出たようで、私は赤ペンで楽譜に花丸を大きく付けた。
「この曲は、今日でおしまいね。来週は『アラベスク』をやろうね」
「やったぁ!」
はるかちゃんが目を三日月のように細めて、弾けるように笑った。
「アラベスク、おともだちもみんなひいているから、わたしもがんばる!」
あどけない表情で答える彼女に、私は思わず笑みを浮かべた。
****
あのレッスン以降、はるかちゃんは歌う事の楽しさに目覚めたようで、レッスン中に歌う事も増えた。
歌う事で、ピアノに対する向き合い方のようなものを掴んだとしたら、私にとって、こんな嬉しい事はない。
レッスンが終わり、はるかちゃんとお母さんが帰宅すると、私は明後日、ラウンジピアニストとして弾く楽曲、中村由利子の楽譜を本棚から取り出す。
(教える事も、弾く事も、今以上に頑張らないとなぁ……)
私はその中から『あなたが微笑む日』のスコアを開き、大きく深呼吸をすると、椅子に腰掛けて鍵盤の上に手を乗せ弾き始める。
前奏の速度表示は『tempo rubato』〜自由な速度で〜
自分の思うテンポで、心の中で誰かの微笑む姿をイメージし、気持ちを込め、歌いながら。
——La fine——
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