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「過保護な働きバチだな」
「そうかもね」
ふっと男は吐息交じりに笑って「つくづく腹立つやつだ」と呟いた。
その声には敵意も覇気もなく、男の影がなんだか小さくなったように見える。
「腕っぷしじゃどうにもならねえことだらけだよ。世知辛え」
「辛くしてんのはあんたみたいなやつだけどな」
「つまんねえから帰るわ。お前も早く寝ろよ」
男はくるりと後ろを向いた。ざり、と芝生を踏む音が聞こえる。
数歩暗闇へと歩みを進めてから、男はもう一度こちらを振り返った。
「あ、もうすっぱり諦めるから通報はすんなよ。めんどくせえし」
「そんな口約束信用できないな」
「じゃあトマトの安いスーパー教えてやるから」
「そういうのじゃない」
「諦めるって言ってんだろ。俺の負けだ」
「いや信じられるか。僕が後ろ向いた瞬間にトマト投げつけてくる気じゃないだろうな」
「ああこれ? 仕方ねえな」
ため息をつきながら男は僕に見せつけるように右手のトマトを掲げ、そのままかぶりついた。
汁が滴り落ちるのも構わず、あっという間に拳大のトマトを腹に収める。
「ほら、これでいいだろ」
「これでいい……のか?」
「いいんだよ、もう会うこともねえ」
「急に退くからこわいんだけど」
話している間にも男は歩みを進め、どんどん僕から離れていった。底の知れない暗闇に静かに溶けていく。
「ひょろいお前じゃ知らねえだろうけどな、勝負の世界じゃこう言うんだぜ」
そう言い終える頃には男は完全に姿を消していた。
広場に残されたのは、吐息のような笑い声とひとつの言葉だけ。
「気持ちで負けたらそこで終わり」
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