暑中見舞いはもう書かない

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 関係を求めたのは僕からで、関係の解消を切り出したのは彼だった。嫌いになった訳じゃない、ただ愛せなくなっただけだと彼は言った。  何度も繰り返した話し合いの果てに、折れたのは僕だった。悲しみよりも虚しさが、憎しみよりも遣る瀬なさが決断させた。いつかは僕じゃない誰かを選ぶ人だと、頭のどこかで予感していたからなのかもしれない。  2人で暮らした部屋は、別れと共に引越した。退去日の午前中、彼の荷物が先に運び出されて、午後には僕の荷物も新居へ向かった。最後まで、互いの新居の住所は聞かなかった。  引越した翌日、郵便局で転送サービスを申し込んだ。前の住所に届く郵便物の中には、必要な書類や知人からの手紙もあるはずだから。数日後、「転送」と赤いスタンプの押された封筒を受け取ったとき、僕は気付いた。彼もこのサービスを利用しているに違いない。彼宛ての手紙も、きっと新しい住まいに転送されているだろうって。  仕事帰りに立ち寄った本屋の文具コーナーで、南の海のポストカードを見つけた。一度だけ、彼と旅した沖縄の海によく似た風景だ。彼が就活に入る前に行こうと、2人で一生懸命バイトして実現させた旅だった。どうしようもなく胸の奥が疼いた。僕が側にいた証を残したい……そう思った僕は、ポストカードに暑中見舞いの挨拶文だけ書いて、2人で暮らした部屋の住所に送った。もし転送されなければ、僕の新居に転送されてくるはずだから。けれども、結果はそうならなかった。諦めの悪いヤツだって嘲笑われたかもしれない。今更気持ち悪いって捨てられたかもしれない。それでもいい。一瞬でも目に止まれば……僕の存在を思い出してもらえれば、それだけで充分だった。  郵便物の転送サービスは、1年毎に更新しなくちゃならなくて、ちょうど梅雨が明けるこの季節になると忘れずに更新した。そして、南の海のポストカードを選んでは、古い住所宛に暑中見舞いを送ってきた。この7年間、一度も欠かさずに。  戻ってきた今年のポストカードには、「受取拒否」と手書きされたピンクの紙が貼り付けられている。彼の文字じゃない。強い意思を持って刻みつけられた4文字の主は、恐らく女性だろう。  彼は、家庭を持ちたいと、自分の子どもが欲しいと願っていた。ようやく叶えられる伴侶を見つけたのだ。だから、彼の幸せに不要な「暑中見舞いの差出人」とはキッパリ関係を断つべきだと判断したのだ。相変わらず優しくて狡い彼は、彼自身の文字を寄こさないことで僕に明確なメッセージを送りつけてきたに違いない――「もう俺に関わるな」と。 「やっぱり……涙って出ちゃうんだなぁ……」  馬鹿だなぁ。分かっていたことじゃないか。7年前に出ていた答えを改めて突き付けられた、それだけのことなんだ。それなのに……この涙はなんなのだろう。もう愛してなんかいないはずなのに。
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