終わりの話。または、語り出し。

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 トゥプラクに酒場はいくつかあるが、オアシスのほとりにあるものが最も大きい。  (くだん)の商隊は今回、ここに宿泊すると決めたらしい。もちろん吟遊詩人も一緒だ。  茜色の陽が去り、紺青の水面に銀の月が揺らめく時間。普段ならば席の半分も埋まれば上出来と言えるこの酒場が今日は満席だ。そればかりか壁際に立っている人もいる状態で、さらにまだ人が押し寄せている。  店員は隙間を縫って必死に注文と配膳を繰り返し、厨房は大忙し。しかしこの光景を見る店主はちょっぴり苦い笑いを浮かべていた。  今日に限って妙に客が多いのは店の真ん中にいる吟遊詩人せいだ。  楽器の調律をしている彼が歌い出せば、客の誰もが聞きほれる。そうなると飲み物も、食べ物も、一切の注文が途絶える。これほどまでの客が入り、遅くまで酒場を開けているというのに、売り上げはいつもよりも少ない金額にしかならないのだ。  満足のいく調弦ができたのだろう。吟遊詩人が手を止めて顔をあげた。辺りがしんと静まる中で、通る声が辺りを震わせる。 「さて。今宵はどの(うた)を紡ぎましょうか」  すべての人が叫ぶ。 「女王ザフィーラの詩を!」  うなずいた吟遊詩人が弦をかき鳴らす。人々がわっと湧くが、それも一瞬のこと。風のない夜に似た静寂がすぐに訪れ、室内にはただ吟遊詩人の声だけが流れて行く。
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