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その夜、ひゐろは母に自宅の住所を告げた。
オートガールの仕事のことや斎藤との暮らしなどについては、折を見て話そうと思った。とてもじゃないが、今はそのような話はできない。
民子は重ね重ね「病院だけは、すぐに行って」とひゐろに言った。
明後日の午前中、立ちん坊がリヤカーを用意し、ひゐろの実家にやってきた。通常の三倍のお駄賃を払い、駒込の病院まで運んでもらうことにしたのだ。父の様子をひゐろは自室から見たが、三重吉の身体は力なく極めて痩せていた。ひゐろに気がついたのかどうかは、結局わからなかった。
「お父様に何かあったら、自宅に電報をください」
母にそう伝え、ひゐろは銀座の口入れ屋に向かった。
口入れ屋の扉を開けると、依子こと坂田花代がオートガールの仲間と談笑していた。花代は大きな花唐草の袷に、竹柄の長羽織を着ていた。
「あら、初子さんじゃない?ご無沙汰ね。景気はどう?」
とひゐろに話しかけてきた。
「ちょっと話があるの。外に出ない?」
花代はひゐろの腕を引っ張り、外へ連れ出した。
「今日はね、銀座の文房具屋で息子のクレオンを注文していたから、その受け取りの帰りに寄ってみたの」
「そう。息子さん二人はお元気ですか?」
「ええ。相変わらずよ。きかんぼうでね」
そう言って、花代は笑った。
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