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僕は路地裏を歩いていた。軒を連ねる雑居ビルに陽光は遮られ、昼間だというのに辺りは暗い。
「まだ着かないのか……なっ」
思わず固まった。
年季の入った木製の引き戸と外壁。それに茶色い茅葺き屋根――まるで昔話にでてくるような日本家屋がコンクリートジャングルの中に鎮座していた。
「ここ!?」
入口に立てられた黒板には白いチョークで『おひどり様カラオケ』と書かれている。
「おひとり様の間違いじゃないの?」
ポケットを探りスマホを取り出した。検索アプリを開いて店舗情報を確認する。どうやら探していた店で合っているようだ。が、表示された画像に眉根を寄せた。写っていたのは豪華なお城のような建物だった。
「写真と全然違うんだけど」
頭を掻いた。スマホ画面をスクロールすると、この店のキャッチコピーがでてきた。
『おひどり様カラオケ ストレス解消に! 歌の個人練習に!! ぜひ、当店をご利用くださいピヨ!! 新規お客様大歓迎だピヨピヨ〜』
続けて指をなぞった。利用者によるレビューのページに切り替わる。
『最高ピヨ。また来たいピヨ』
『めっちゃ良かったわピヨ。練習のおかげで生まれ変われたわピヨ』
『ピヨピヨ過ぎてピヨピーヨ』
「これ絶対一人が全部書いてんだろ」
ため息をついた。
「やめとこう胡散臭過ぎる。あーあ……ここなら誰にもバレずに練習できると思ったんだけどなぁ」
肩を落として回れ右をする。
「明日の合コンまでに何とか音痴を克服しないと」
立ち去ろうとした、その時。
――逃げるピヨか?
誰かに耳元で囁かれた。
「誰だ!?」
僕は振り返る。そばには誰もいなかった。
「気のせいかな?」
さまよわせていた視線を一点で止める。頭上から差してきた一筋の光が店を明るく照らしていた。
「……案外すごい店なのか?」
急に湧き上がる妙な期待感。
「やっぱり別の店を探すのも面倒だしな」
腹を決めて戸を引くも、
「へっ?」
僕は間の抜けた声を漏らしてしまう。店内に足を踏み入れてすぐ目に飛び込んできたのは、二つの大きな暖簾だった。向かって左側には紺色布地に『雄』と白抜き文字で書かれたものが、右側には赤色布地に『雌』と白抜き文字で書かれたものが掛けられていた。
「ここって……」
上り框で靴を脱ぎ、下駄箱にしまう。視線をめぐらせてから竹タイルの床を踏んだ。
「どう考えても銭湯だよな?」
『雄』と『雌』の暖簾に挟まれた番台の前に立つ。
首を捻っていると、
「何だ?」
突然体が揺れだした。
「地震か!?」
揺れはすぐにおさまった。かと思えば再び足元から震えが伝わってくる。生唾を飲んだ。番台の奥の暗がりを見やる。黄色く光る二つの目玉がこちらを見据えていた。
「ひっ」
思わず後退った。謎の怪物は重い足音と共に近づいてきて、その姿を現した。
雲のように白くふわふわした羽毛に立派な赤いトサカ。鋭いクチバシの下にぶら下げる、これまた真っ赤な袋。その姿はまさに――
「大きなニワトリ?」
僕が震えるような声を出すと、
「コケー!!」
ニワトリは高らかに鳴き、素早く伸ばした鋭い鉤爪で僕の腕を掴んだ。
「うわぁ!!」
勢いよく引っ張られ、指先から右肩までが羽毛の中へと埋もれてしまう。
「離せ! 離せったら、は」
腕を引き抜こうともがいていた僕は、
「ははっ、あはははは!」
くすぐったくて笑った。
「ちょっ、やめろ、やめてくれっ」
しばらく弄ばれたあと、ようやく右腕が抜ける。
「まったく何すんだよ……ん?」
気づけば手に何かを握らされていた。見るとそれは白い卵だった。殻の表面には黒い字で『一七』と記されている。
「コケコケコケ」
鳴き声に顔を上げた。目の前にニワトリの顔があった。
「うわっ!」
「コケコーコ」
仰け反る僕に構わず、番台から身を乗りだしてくるニワトリは何かを訴えていた。
「何だよ?」
「コケコケコ」
「この卵?」
「コケ」
「食べて良いの?」
卵を口に入れるジェスチャーをすると、赤いくちばしで頭を突かれた。
「いたっ、違うのかよ!」
「コッケコ、コケ!」
ニワトリが『雄』の暖簾に向かってトサカを何度も振る。
「卵を持って風呂に入れと?」
「コッケー」
オッケー、と言ったように聞こえた。
「いやでもごめん。ちょっと今回は……」
背を向けると、
「コケコッコー! コケコッコー!!」
ニワトリが狂ったように鳴き散らす。
「分かったわかった! ところで料金は?」
瞬きながら首を前に出しては引っ込める、という動作を繰り返すニワトリに、
「無料キャンペーン中なのかな?」
それ以上訊ねるのを諦めた。
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