おひどり様カラオケ

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 再び湯の中へと入る。ヒヨコは浴槽の縁を蹴って僕の肩に飛び移ると、器用にうなじをよじ登って頭頂へとたどり着く。 「質問しても良いかな?」  姿見越しにヒヨコを見た。 「このお店の名前は何で『おひどり様カラオケ』? おひとり様の間違いじゃないの?」 「いや合ってるピヨ。それに店名の由来は見ての通りピヨ」  ヒヨコの言葉に首を傾げる。 「分からないピヨ? 『お雛鳥(ひなどり)様が教えるカラオケ』、略しておひどり様カラオケピヨ」 「そんな略し方あり?」 「文句あるピヨか?」 「いや別に。あともう一つ気になってたんだけど何で風呂場?」 「これだから素人は困るピヨ」  ヒヨコは小さな頭を左右に振る。 「歌や恋愛の駆け引きにおいて、意識すべきことは何だと思うピヨ?」 「誰よりもセクシーな声……とか?」  くちばしを半開きにするヒヨコに、 「ごめん忘れて」  自分の顔面に血が上るのを感じた。 「ズバリ自然体でいることピヨ」  ヒヨコが穏やかな声をだす。 「何事もリラックスできてる時にこそ、真の実力が発揮できるもんだピヨ。それに愛を込めた歌を聞かされるメスの気持ちにもなってみるピヨ。鼻息荒く迫ってくるオスより、余裕に満ちた包容力で接してくれるオスの方が絶対安心ピヨ?」 「確かに」 「大人の対応力ってやつピヨね。それを向上させるためにこの環境が用意されてるわけだピヨ。さぁ店の説明はこのくらいにしてそろそろ歌うピヨ」 「ちょっと待って」  張り切るヒヨコに手を挙げる。 「のぼせた……」 「もうピヨ? 情けないピヨねぇ」  僕は腰を上げ、浴槽の縁に座った。 「またすぐ入るから」 「歌う時に入浴は必須ピヨ。でないと心が穏やかにならないピヨ」 「最早心音が穏やかじゃないんだけど」 「はい休憩終わりピヨ。さぁ肩までしっかり」 「もう少しだけ待っ……いたたたた」  髪の毛を引っ張られ、 「分かった、分かったから!」  泣くなく浴槽に身を沈めた。 「乱暴だなぁ」 「愛のムチピヨ。では改めてビージーエム……カモンピヨ!」  ヒヨコが声を張ると、天井が割れてミラーボールが姿を現した。ミラーボールは明滅しながら回りだし、どこからか音楽が流れ始める。 「もしや選曲できない感じ?」  目を剥く僕をよそに、 「おれっぴに続くピヨー!」  ヒヨコはリズミに合わせて頭を縦に振る。 「記念すべき一曲目はこれピヨ!」  一拍置いてから、 「ポッポッポー! ハトポッポー!!」  ヒヨコが元気良く歌いだす。 「まさかの童謡!?」 「何ボヤボヤしてるピヨ。早く一緒に歌うピヨ」  ヒヨコが頭上で何度も飛び跳ねる。 「ポッポ……」 「声が小さいピヨ!」 「ポポ、ポポポ」 「力み過ぎピヨ!」 「ポッポー!!」 「それだと機関車ピヨ!」 「タイム!」  堪らず僕は立ち上がった。全身に帯びる熱にあてられ、ふらついてしまう。 「ピヨピヨ……何ていうかその」 「ひどいもんだよね?」  言い淀むヒヨコに僕は力なく笑う。 「はっきり言いなよ。実は音痴が原因で小さい頃からよくからかわれてきたんだ」  俯いた。のぼせていることもあり、蘇る嫌な記憶が頭の中をグルグルと回り始めた。が、 「音痴なんかじゃないピヨ」  予想外の言葉に顔を上げる。 「むしろ才能あるピヨ」 「慰めてくれるのは嬉しいけど……」 「嘘じゃないピヨ」  確信に満ちた声。ヒヨコが姿見越しに真っ直ぐこちらを見据えていた。 「絶対に上手くなれる。そしておれっぴが思う理想に届くはずピヨ」 「君の理想って?」 「おれっぴみたいな喋るヒヨコってどう思うピヨ?」  質問には答えず、急にヒヨコは話題を変えてくる。 「怖いピヨ? 気持ち悪いピヨ?」 「そんなことないかな、初めはびっくりしたけどね。むしろ今では可愛くて面白いと思うよ」 「ほ、褒めても何も出ないピヨよ〜」  目尻を下げるヒヨコに、 「それがどうしたの?」  続きを促すと、 「えっと……つまりピヨ!」  ヒヨコが顔を振り、姿勢を正した。 「おれっぴ達鳥にとって言葉を話すヒヨコは変でも、人からすれば魅力的に見えることもある、ということピヨ」 「自分で喋ってておかしいと思ってたんだ?」 「だってヒヨコピヨよ? 普通はありえんピヨ」 「そういう常識は一般的なんだね」 「まぁそれはさておき、だから逆のことも言えるはずなんだピヨ」 「というと?」 「自分が音痴だと決めつけてるだけで、実は素晴らしい歌のセンスを持ってるんじゃないピヨか?」 「まさか……?」  自分を指差す僕にヒヨコが頷く。 「自信を持つピヨ。おれっぴと一緒にこの世の全てのメス達を虜にする歌声を手に入れるんだピヨ!」  ヒヨコの励ましに、胸の奥底から熱いものがこみ上げてきた。 「分かった、頑張るよ」 「その意気だピヨ」 「そして女性達に振り向いてもらう!」 「それは違うピヨ!」 「えっ!」  出鼻をくじかれ声を上げてしまう。 「何で!?」 「正しくは達、ピヨ!」  僕はズッコケそうになる。 「何だ言い方の問題か……まぁ良いや、じゃあ練習の続きを」 「よしきたピヨ。では次の曲は」  少し間を置いてから、ヒヨコはくちばしを開く。 「カッコウ、カッコウ、し〜ず〜か〜に〜」 「よしやるぞー!!」  僕は湯に体を潜らせた。 「カッコウカッコウ」 「早いピヨ、もっとゆっくり」 「カカッコウカコウカッコウ」 「壊れたロボットみたいになってるピヨよ!」  僕は必死に歌い続ける。頭上からヒヨコの厳しい激が飛ぶ。漂う湯煙の濃さが増していく――むせ返るほどの熱気に包まれながらの猛特訓は、数時間にも及んだ。 ※            
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