1月のサマータイム

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1月のサマータイム

#6  ICUに入ると、祖母の周りには病院スタッフと親戚が、重く沈鬱な空気のなかに立っていた。  祖母の顔にはすでに白い布がかけられ、ゾッとするほど静かだった。  母が私の肩にそっと手をかけ、嗚咽を漏らすように言った。 「ナオ、おばあちゃんの顔・・見てあげて」  私の体は1ミリも動かなかった。 「見たくないっ!」  気がつくと私はICUから飛び出し、着ていた白衣やキャップを脱ぎ捨て、廊下をしゃにむにダッシュしていた。  背後で私の名前を呼ぶ母の声がしたが、私はそれを振り切って走り続けた。  ここにおばちゃんはいない。  いるはずがない。  おばあちゃんはいまステージに立ち、たくさんのお客さんの前でスポットライトの光を浴び、素敵な歌声を響かせているんだから。  ラストステージは、ずっと続くんだから。  病院を出ると大粒の雨が降り出していた。  私は構わずに歩き出す。  さっき見たステージがありありと瞼に浮かび、木々に打ちつける雨が拍手のように聞こえた。  祖母の言葉が頭に浮かぶ。 「私の人生は、幸せでした」  本当にそうだったなら、  本当にそうだったなら、  私は悲しむことなんてない。  人はみんないつか死ぬ。  私だって。  人生のラストステージで、おばちゃんのように言うために、伯母さんも、お母さんも、私も、みんな今日を悔いなく懸命に生きているんだ。  道が二又に分かれ、私は立ち止まる。  降りしきる雨で道の向こうが霞んで何も見えなかった。寒さのため、雨が当たる皮膚の感覚はもう麻痺して何も感じなくなっていた。  私は川のようになった道に、へたり込んだ。  1月の凍えるような豪雨の中、何度も聴いて覚えてしまったサマータイムが、口をつく。 「Summertime and the livin' is easy Fish are jumpin' and the cotton is high・・・やっぱさ・・やっぱ、この曲、季節 外れだよね、おばあちゃん」    雨か涙かわからないものが大地を洗う。  稲光がスポットライトのように光り  雷鳴が轟く。          【了】
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