別人の祖母

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別人の祖母

#2  祖母の施設はなかなか決まらなかったようだ。  重い認知症を受け入れる施設は少ないことや、空きがないことが原因だった。  祖母が施設に入所できたのは、母から話を聞いてから4ヶ月も経ってからだった。  すでに冬休みになっていて、街にはクリスマスのイルミネーションがキラキラと華やかに輝いていたが、我が家にはクリスマス気分はひとつもなかった。  いつも飾りつける大きなツリーも、母は飾る気になれないわと言ったので、私もそうだねと言って、テーブルに乗せられるほどの小さなツリーを買って置いただけだった。  母は何度かひとりで祖母に会いに行っていたが、帰って来るたびに、何歳も老けたようになり、ため息ばかりつくようになった。    母は言った。 「私のことをわからなくなっていたわ。もう、別人なの。私が行くと暴れたり、大声で家に帰るって叫ぶのよ」  ある時は、施設から帰って来た母の頬に傷があったのでどうしたのかと聞くと、物を投げられて切ったということがわかった。  返す言葉がなかった。  母は祖母のことを、素敵な女性だったのよ、とか、憧れてたとよく言っていただけに、そんな祖母の姿を見るのは辛いだろうと容易に想像ができた。    クリスマスイプの日、母は私に、祖母に会いに行こうと言った。  正直、私は気が重かった。  母からさんざん祖母の現状を聞かされていたし、私のこともわからなくなっていたらと想像すると、悲しくて切なかった。  しかし、私は母と一緒に祖母が入所しているグループホームに行くことにした。  私が行くことで、母のショックが少しでも和らげば、という気持ちからだ。  祖母のグループホームは小高い丘の上にある洒落た洋館のような建物だった。  認知症になる前、祖母は私に、自分がもし施設に入ることになったら、パティオのあるパリの高級ホテルのようなところがいいわ、と言っていたことを思い出した。  希望は叶ったかもしれない。しかし、祖母はそのことをわかっているのだろうかと、暗い気持ちになった。  グループホームの中は、外観と違わずヨーロピアン調の素敵な内装だった。知らないで入れば、高級ホテルと思うかもしれない。  クリスマスということもあり、エントランスには3メートルはありそうな大きなツリーが華やかにイルミネーションの光を瞬かせ、スタッフが手描きしたのか、壁にも可愛らしいクリスマスにちなんだ絵が貼られていた。  そして、小さな音ではあるが施設のどこからかクリスマスの音楽が流れていた。  素敵な内装と甘く優しい歌声に反して、祖母の部屋に近づくにつれ、私の足は重くなっていった。 「お母さん、私・・・怖い」  祖母の部屋のドアの前で、私は尻込みして母の腕をとった。母の腕も強張っているのがわかった。悪化する祖母の認知症を目の当たりにしてきた母の方の方が緊張していておかしくはない。 「大丈夫よ、スタッフの方もついていてくれるから」  その時、祖母の部屋から、ギャーというおぞましい叫び声が聞こえた。私は反射的に母の腕をギュッと掴む。  母はその声を合図にするように、横開きのドアを開けた。    私が最初に見たのは、髪を振り乱した老婆がスタッフとマチコ伯母さんに抑え付けている光景だった。  まさかあれが・・・祖母?  あまりに別人に見えた。私は狼狽え、母の後ろに隠れるように部屋のなかに入る。  私たちに気づいた伯母さんは、お願い、手伝って!と叫んだ。  私たちは小走りにベッドに駆け寄りる。大柄なスタッフが厳しい顔をして言った。 「お母さんを抑え付けておいてください。私は拘束衣を取ってきます!」  その間もおばあちゃんは意味のわからい言葉を発し、ベッドから起きあがろうと暴れていた。  母がスタッフに声をかける。 「ちょっと待って。拘束衣なんてやめてください!」スタッフが立ち止まる。母は続けた。「それはしないと言っていましたよね」  伯母さんが口を挟んだ。 「美智子、そんなこと言ってる場合じゃないのよ。拘束衣をつけていいと言ったのは私なんだから」 「でも姉さん、約束したはずじゃない、それはしないって」  マチコ伯母さんは母の言葉を受け流し、スタッフに言った。 「拘束衣お願いします!」  スタッフは母の顔をチラッと見たが、急足で部屋を出て行った。  祖母が叫けぶ。 「あんた誰よ!私の部屋に勝手に入って来るんじゃないよ!」  祖母は母を敵対視するように睨んだが、その顔は般若そのものだった。
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