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これまでの大罪人の娘 第肆章 武器商人の都、京都炎上の章
『相続』
これは、親から子へ権力や富を受け継がせる制度のことを言う。
勿論。
その子が、権力や富を受け継ぐ資格を有しているかどうかは関係ない。
この事実は……
非凡[優れた人物のこと]でありながら相続という制度によって権力や富を掴み取る機会[チャンス]を奪い取られた人たちと、凡人[普通の人のこと]であるが故に権力や富を受け継ぐ資格を有していない子たちに、数え切れない悲劇を生んだ。
◇
1573年、春。
5万人を超える大軍が織田信長の居城である美濃国・岐阜城[現在の岐阜市]に集結している。
これは補給などの後方支援を行う人間を入れた数ではない。
純粋な戦闘要員として、敵の人間を躊躇なく殺すよう訓練された兵士だけの数だ。
城下町を秩序正しく整然と雲霞の大軍が埋め尽くしている光景は、まさに圧巻と言うしかない。
岐阜城の天守にいた織田信長は、自分の傍らに立つ万見仙千代との会話を始めた。
「わしが、室町幕府に代わる日ノ本の支配者になるだけでは……
まるで意味がない。
そんな中途半端なやり方で、この乱れ切った世を変えるなどできようか!
やるならもっと徹底的にやるべきじゃ」
「どう徹底的にやるのです?」
「実力ある者が、実力を磨く努力を怠らない者が、真に報われる世へと作り変えることよ」
「世を作り変えると!?」
「考えてもみよ。
不甲斐ない幕府が日ノ本各地で起こる問題を解決できず、大名や国衆どもの争いが一向に止まない結果……
どうなったか?
確かに戦は、相手の領地や財産を手に入れる絶好の機会[チャンス]ではある。
ただし!
相手から奪った領地や財産のほとんどは……
大名一族とその家臣、兵糧や武器弾薬を扱う商人ばかりが得ている。
戦場で命を懸けて戦った兵たちには、わずかな恩賞を得られるだけ。
なぜ、こうなったと思う?」
「それは……
『相続』という制度があるからです」
「仙千代よ。
実力もなく、実力を磨く努力すらしない愚か者が、ただ相続によって権力や富を独占している現実を……
忌々しいとは思わないのか?」
「……」
「奴らに権力や富を持つ『資格』があると思うか?」
ここで仙千代は、抱えていた疑問を口にする。
「信長様。
一つ、教えて頂きたく存じます」
「申してみよ」
「今、相続によって権力や富を独占している者たちはどうするのですか?」
◇
「京の都を、焼き討ちにせよ」
天守を降りて言った、この織田信長の命令は……
居並ぶ者たちに大きな衝撃を与えた。
「な、何と!?
京の都を灰に!?」
「驚く必要がどこにある?
実力ある者が、実力を磨く努力を怠らない者が、真に報われる世を作るには……
今、権力や富を独占している者どもから力ずくで奪い取るしかないではないか」
「そ、そうは申しましても」
「まさか。
そちたちは……
権力や富が、恵みの雨のように天から降ってくるとでも思っているのか?
それとも。
誰かが贈り物のように与えてくれるとでも?
そんな『甘い』考えだから、権力者や富んだ者どもに欺かれるのじゃ!」
信長は畳み掛けた。
「そちたちは、どこまで他人に利用されれば気が済むのか?
いい加減に目を覚ませ!
権力が欲しいのなら、己の力で権力者を引き摺り下ろして掴み取れ!
富が欲しいのなら、富んだ者から力ずくで奪い取って我が物とせよ!
それだけの『覚悟』もないのなら、家に帰って母の乳でも飲んでいろ!」
さらに畳み掛けた。
「このことをよく覚えておけ。
盗人は、そちたちではない。
真の盗人は……
今、権力や富を独占している奴らのことよ。
なぜか分かるか?
相続という制度が……
実力ある者から、実力を磨く努力を怠らない者から、権力や富を掴み取る機会[チャンス]を『奪い取って』いるからじゃ!」
「確かに……
盗人は、奴らの方じゃ!」
「実力ある者が、権力や富を持つ資格のない奴から力ずくで奪い取ることの何が悪い?
むしろ『正しい』ことではないか!」
「そうじゃ、その通り!
権力や富を持つに値しない奴から遠慮なく奪い取ってやるぞ!」
京の都を焼き討ちにすることへの『罪悪感』が兵士たちから薄らいでいくのを感じ取った信長は……
長く続いた演説を終えて出発を決める。
「全軍、出撃!」
未曾有の大軍が京の都を目指して整然と行進を始めた。
◇
演説が終わった後。
「日ノ本の中心として、千年の長きに亘って繁栄を極めた京の都を……
灰になさるおつもりですか?」
「千年も経っておらんがな。
せいぜい800年ほどじゃ」
「そうだとしても。
京の都を焼き討ちにするなど……
あの比叡山焼き討ちを超えるほどの暴挙にございますぞ!」
佐久間信盛、林秀貞、柴田勝家などの重臣から次々と反対意見が上がった。
一方で明智光秀と木下秀吉に限っては、なぜか反対の立場を取ろうとしない。
「猿[秀吉のこと]」
「はっ」
「そちの意見を申せ」
「では、恐れながら」
「うむ。
さっさと申せ」
「それがしは、こう考えております。
これほど長い年月の間……
京の都が帝都であり続けたのは、『どうして』なのかと」
柴田勝家が反応した。
「どうして、だと?」
「はい」
「そこに帝[天皇のこと]がずっとおわしたからではないか」
「果たして、それだけでしょうか?」
「他に何かあると?」
「『銭[お金]の力』だと思います」
「銭の力?」
「柴田様。
日ノ本各地へモノを運んで売り歩く行商人ならば……
誰もが知っていることですぞ。
京の都が、何で一番儲けているかを」
「何で儲けているのじゃ?」
「土倉[モノを担保としてお金を貸す業者のこと]です。
京の都だけでも土倉を生業とする集団が数百も存在しているとか」
「『高利[高い利息のこと]』で銭[お金]を貸す薄汚い集団が……
そんなにもいるのか」
「いかにも。
土倉を生業とする集団で最も有名であったのが……
あの比叡山延暦寺でしょう。
随分と高い利息で民に銭[お金]を貸し、利息を払えなくなれば武装した者に踏み込ませて家の中の物をことごとく奪い、足りなければ家を取り上げ、妻や子供までも奪う暴挙に出るのだとか。
勿論。
奪い取られた妻や子供は、男の欲を満たす道具として売られる運命が待っています。
南蛮人[スペイン人とポルトガル人のこと]にも売り飛ばしていたらしいですな。
同胞を他国へ売る『売国奴』を焼き討ちにして、何が悪いのです?」
「し、しかし!
藤吉郎[秀吉のこと]よ。
土倉を生業とする集団が多いから焼き討ちにするというのも……
やり過ぎではないか?」
「柴田様。
高い利息で銭[お金]を貸す集団のことを、なぜ『土倉』と呼ぶかご存知でしょう?」
「担保としたモノを貯める目的で、奴らが築いた土色の倉[倉庫のこと]からそう呼ばれていると聞いた。
それがどうした?」
「そう、その通りです。
そして。
その倉の中には何があると思います?」
「だから、銭[お金]を貸すための担保としたモノであろう」
「どんなモノでしょうか?」
「どんなモノ?
開けてみなければ分からんわ」
「柴田様。
今は戦の世ですぞ?
戦の世で大量に流れるモノといえば、まず兵糧や武器弾薬……
違いますかな?」
「そうだとして、それがどうした?」
「要するに。
京の都にある倉の中には、莫大な兵糧や武器弾薬があるということになります」
「それで?」
「その莫大な兵糧や武器弾薬を……
京の都の商人が、勝って欲しいと思う側に流したらどうなりますか?」
「何っ!?」
「兵糧や武器弾薬を得られた側は圧倒的な優位に立てます。
当然、戦の決着に大きな影響を及ぼすでしょう。
あるいは……
争っている両者に軍資金の銭[お金]を貸し、戦そのものを起こすことさえ可能です。
まさに『戦いの黒幕』の誕生ですな」
「……」
「戦の決着を己の欲する方向へ持っていけること。
必要に応じて、戦そのものを起こすこともできること。
これが銭[お金]の力の正体なのです。
天下布武を掲げる我らにとって憂慮すべき『脅威』であり、脅威は早めに取り除いておく方が良いと存じますが」
「ちょっと待て。
藤吉郎よ。
倉の中にあるモノは、あくまで担保であろう?
勝手に流して良いものではあるまい?」
「『だから』、高い利息で銭[お金]を貸しているのです」
「だから高い利息で?
おぬしの申している意味が分からん」
「高い利息にすれば、利息を払うだけで精一杯となるではありませんか。
担保の元となっている『元金』を返す余裕などないでしょう」
「それは、つまり。
土倉を生業とする集団は……
最初から元金が返済されないのを分かった上で、銭を貸しているということか?」
「そういうことです。
万が一、元金が返済された場合は……
買って補えばいいだけ。
担保のモノすべてを眠らせておくよりもずっと効率的では?」
「……」
「土倉を生業とする集団は、薄汚いやり方で一石二鳥の儲けを出しているわけです。
1つ目は、相手に高い利息を払わせ続け、己は甘い汁を吸い続けること。
2つ目は、兵糧や武器弾薬を使って戦いの黒幕となり、さらなる荒稼ぎをすること。
しかも。
儲けの一部を裏で幕府に収めているのだから……
『質が悪い』」
「何っ!?
あの室町幕府が、儲けの一部を裏で受け取っていると?」
「まさか。
ご存知なかったので?
権力者も、富んだ者も、腐り果てて膿が出ているのですよ。
どちらも徹底的に焼き尽くして灰にすれば、この日ノ本も多少は『清潔』になるでしょう」
「……」
「いずれにしても。
土倉を生業とする屑どもを『皆殺し』にし、京の都にある倉を全て灰にすることは……
我らのため、民のため、世のためになることです」
「藤吉郎よ。
おぬしは、無関係な人を殺すことに何の躊躇いもないのか?」
「無関係な人とは?」
「京の都に住む人々の中で……
誰が土倉を生業とする集団で、誰が無関係な人なのかをどうやって『区別』するのじゃ?」
「はっきり申しますが。
区別など、できるわけがないでしょう。
どうせ土倉で富を築き上げた屑どもは、『わざと』貧しい格好をして我らの目を欺こうとするでしょうからな」
「無関係な人を巻き込んでも皆殺しにせよと申すのか?」
「ならば……
民を騙して富を搾取し続けている屑どもが、のうのうと贅沢な生活を送るのを黙って見ていろと?
加えて。
屑どもが流した兵糧や武器弾薬のせいで犠牲となった森可成殿と坂井政尚殿の死を無駄になさるので?」
「……」
さすがの柴田勝家も沈黙してしまった。
◇
鶴の一声が掛かった。
「猿[秀吉のこと]、もう良い。
止めよ」
「はっ」
「わしも猿と同じ思いではあったが……
権六[勝家のこと]の申す通り、京の都をすべて焼き討ちにするのはやり過ぎかもしれん。
『半分』だけと致そう」
「……」
「どうじゃ?
権六よ。
これで納得してくれないか?」
「承知致しました」
◇
1573年4月2日。
信長は京の都の洛外[京都の郊外]である嵯峨周辺[現在の京都市右京区]を焼き討ちにした。
「嵯峨だけ『限定』して焼き討ちにするとは……
さすがの信長も、京の都を焼き討ちにする度胸はないらしい」
こう嘲笑っていた傲慢な上京[現在の京都市二条通の北側]の人々も、その裏では着々と上京の包囲が進んでいたことに気付かなかったようだ。
そして運命の4月3日夜を迎える。
鼠一匹逃げ出せないほどに上京を厳重に包囲した5万人の軍勢に対して、信長は一つの命令を下す。
「権力や富を持つ資格のない上京の屑どもこそ!
実力ある者から、実力を磨く努力を怠らない者から、権力や富を掴み取る機会を奪い取っている盗人ではないか!
明日に掛けて『略奪』を許すゆえ、奴らから遠慮なく奪い取れ!」
と。
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