2.馬車の中

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 長い道中、私は何とか彼女を説得できないかと考えていた。今の所、取りつく島もなさそうだが、それでも簡単に諦めるわけにもいかない。  姪より家族を選んだ事への罪滅ぼしに、ミスオーガンザに姪を引き取ってもらおうとしている自分に吐き気さえする。 (でも、それ以外にどうしろというのだ)  家族を捨てて、姪と生きる道を選ぶ勇気など……私にありはしないのだ。  そう苦悩する私に気づいたのか、ミスオーガンザは表情を崩して言った。 「まあ、道中は長い。お互い楽しく過ごそうじゃないか」  彼女は、横にあるバスケットからチーズやワイングラスを取り出し、私に突き出してきた。戸惑いながら受け取ると、続いてワインボトルを取り出し、コルク栓を抜いていく。 「飲めないとは言わせないぞ」  ワインの先がこちらに向き、今にもこぼれそうだ。慌ててグラスを差し出すと、なみなみとグラスにワインが注がれていく。彼女は自分のグラスにもワインを注ぐと、すぐに飲み始め、唇を舐めた。 「昼から飲む酒もいいものだな」 「は……はあ……」  これまでの冷たい印象と違った、砕けた様子の彼女に戸惑いながら、私もワインを口にした。  いつも飲んでいるワインと味わいの濃さが違う事に驚き、またチーズとの相性も良く、気づけばふたりで一本を空けてしまっていた。  酒の力もあって、彼女との会話も弾んでいた。だが、彼女はまるで酔った様子を見せない。 (こうして油断させて、相手から色々と話を引き出すのだろうな……)  実業家ともなれば、それくらい簡単にしてのけるだろう。まあ、私には探られて困る腹もない。こちらだけでも腹を割って話せば、いつか彼女も、多少は気を許してくれるかもしれない。  だが、そんな私の様子が不思議なのか、彼女はこんな事を聞いてきた。 「ミスターは、私が怖くないのか?」 「怖い?……いいえ、最初は緊張しましたが、怖いと思う事はありませんでしたよ」  怖いなど思いもしなかったので、聞かれて困惑してしまう。そんな私を彼女は興味深そうに見つめた。 「珍しいな。誰もが私を恐れるか、何とか機嫌を取って取り入ろうとする」 「それは……仕事上で会えば、私もそうなっていたと思います。ですが、今は違うでしょう?少なくとも私は、あなたとの会話を心から楽しんでいますよ」  私はお世辞を言うのも苦手なのだ。取り入ろうなどと大それた事、しようとした途端に見抜かれてしまうだろう。 「はは、それならよかった。毎日毎日、腹の探り合いですっかり疑心暗鬼になっている」 「それは、仕方のない事なのでは……そうしなければ生き抜いてこれない世界なのでしょう?……私には、想像もつかない世界ですが」  誰でもできるような仕事しかしていない私には、まったく縁のない世界だ。そんな世界で生き抜く彼女と、こうして向かい合って話している事さえ、信じられない。 「そうだ、ここまで来るのに何でもした。女である事を利用し、女だと馬鹿にして油断した奴の足を掬ってやった」 「……なぜそこまで」  美しさも知性も持ち合わせている彼女なら、地位や金を持つ男をつかまえるなど造作もないだろう。それなのに、あえて茨の道を選んだ。その理由が分からない。  だが、彼女は迷いのない眼差しで答えた。 「ひとりで、自分の力だけで生きてみたかったのだよ。男に頼らず、な」 「…………」  何と答えていいか分からなかった。彼女にそうさせた何かに、気安く触れてはいけないような気がしたからだ。  彼女は、話を続けた。 「金と地位のある男に嫁いで、子を産み、家を守る。それが女の幸せと育てられたはずが、気づいたらこうなっていたよ」 「……幸せは、誰かに決められるものではない。あなたの心が決めた事なら、きっとそれが正しい道だったのでは。……ありきたりな生き方を選んだ私が、偉そうに言える事ではないですが」  偉そうな事を言ってしまったと恥ずかしくなり、頭を掻く私。だが、彼女の表情には驚きと戸惑いが浮かんでいた。私は焦った。 「変な事を言ってしまいましたか……?」 「いや、ミスターのような男がこの世にいるとは。驚きだよ」 「はは……男らしく、ないでしょうね……」  彼女の驚きをマイナスな意味と捉え、私は苦笑しながら言う。だが、彼女の答えは意外なものだった。 「はっ、男らしさが何だ。女を、男の言う事を大人しく聞いて、自分の後ろをしおらしくついてくるとしか思ってない奴らより、ミスターの方がよっぽどまともだと思うが」 「はは……そう言ってくれるのはあなたくらいですよ。……妻にも、男らしくないと責められますからね」  思わず、余計な事まで話してしまった。私は恥ずかしさと後悔に襲われる。だが、彼女は同情的な目で私を見て言った。 「それは可哀想に。もし私に結婚する気があれば、あなたのような男を選ぶよ」  そう言う彼女に、縋り付いて慰めを求めたくなるような魅力を感じる。私は固まったまま、彼女から目が離せなくなってしまった。 (いけない……きっと、酒のせいだ)  私は膝に腕をつき、手のひらで額を支えてるようにして、彼女から目線を逸らした。 「ふふ。あなたのような裏表のない男は本当に珍しい。つい口が滑ってしまうな」  彼女の言葉は、私の心の隙間に入り込んでくるようで、思わず背筋が震えた。 「はは……ご冗談を……いけない……少し酔いが回ってきました」  そう言う私に、彼女はそれ以上何も言わず、それからは馬車の走る音だけが響き続けた。
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