転勤

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転勤

「それにしてもタクヤくん、すごいじゃない」  てきぱきと手を動かしながら、母は私の夫を褒めた。 「初めてバイトに来たときはまだ高校生で、仕事なんてこれっぽっちもわかっていなかったのに、今や店長だもんね」 「そんな言い方するとバイトから店長に上り詰めたみたいだけど、一応大学は出て、ちゃんと就職した上での店長だからね」 「そうだったわね。でも、私もあのころのタクヤくんを知ってるからさ、なんか感慨深くて」  遠くを見るように顔を上げた母の視線の先には時計があった。 「あらやだ。もうこんな時間。お父さんのご飯作らなくちゃ。もう行くわ」 「うんありがと。助かった」 「明日も来るから」 「お願いね」  母は手を振りながら部屋を出て行った。  夫は全国展開するスーパーに勤めている。間もなく地方都市で開業する大型店の店長に任ぜられた。元々は別の人が就任する予定だったが、直前になって体調を崩し、急遽夫が抜擢された。  そのしわ寄せは私の方へと来た。急な辞令だったせいで、勤務地近くのマンションはなんとか借りられたものの引越しは後回しとなった。開店準備のために夫だけが先にそこへ住み、残された私が引越しの荷造りやら何やらをすることになった。ばたばたする私を見かねて母が時折手伝いに来てくれる。  私が結婚してからは辞めてしまったが、母は過去に夫と同じスーパーでパートをしていたことがあった。と言っても先に働いていたのは母のほうだ。そこへ高校生のころの夫がアルバイトに来たのだ。よほど働き心地がよかったのか、彼は大学卒業後も同じスーパーに就職し、奇しくも同じ店に配属となった。まじめでいい子がいるのよと彼を紹介されたのはそれから数年後のことだ。  ずいぶんと片付いた室内を見渡す。全く手付かずなのは夫の部屋のみだ。彼は身の回りのものだけを持っていったので、ほとんどの荷物は残されたままだ。若いころに趣味で集めていたフィギュアも書棚の上に並んでいる。こんなものまで梱包しなけりゃならないのかと思うと気が滅入る。ほかにどんな面倒くさいものがあるのかと、引き出しや戸棚を片っ端から開けてみた。そうするうち、机の引き出しの一番奥にあった缶に目が留まった。クッキーが入っていたような小ぶりの缶だ。  嫌な予感がする。これとよく似た話を友達から聞いたことがあったからだ。  それを机の上に置き、恐る恐る開けてみた。  やっぱり……。  出てきたのは写真や手紙、チケットの半切れやプリクラなど、いわゆる元カノとの思い出、というやつだ。  こういうタイプの男がいるとは聞き及んでいたが、まさか自分の夫かそうだと分かってショックを受けた。もしかすると今でもこの中の誰かからもらったものを身につけていたり、スマホに別の誰かの画像が残っていたりするかもしれない。 「キモチワル」  知らず声に出ていたが、それでもこの品々には少し興味をそそられた。いったい夫はどんな女と付き合ってきたのか?  それらを缶から出して机の上に並べていく。時系列はばらばらだ。女性のタイプは一貫していないように見える。ただ交際人数は少なそうなので少し安心はした。  その中で一枚のプリクラが目に留まった。どことなく私に似ていたからだ。それを手に取りじっくりと見る。夫は大学生くらいだろうか。相手の女は、年上……?  私は母が22歳のときに産まれた。今私は35だから母は57だ。夫は40歳。彼が20のころだと仮定すれば母は37だ。あり得なくはない。  次の瞬間、様々な疑問が頭の中にわきあがった。  夫がバイトをしていたスーパーを就職先に選んだのは、単に働き心地がよかっただけなのか?  配属先がバイトをしていた店舗になったのは単なる偶然か?  彼が私と結婚したのは、私だけを愛していたからなのか?  母が私に彼を紹介したのには別の理由があった……のか?  プリクラの中では、若いころの母が無邪気に笑っていた。
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